50代の自衛官。退職後の人生にエール

50代で退職される方々がいらっしゃいます。特別国家公務員。例えば自衛官。人生は奇妙な出会いを与えるものです。30年以上、私立の中高で教員生活をしてきた私が、まさにその最終局面で教職の場を東京から仙台に移し、震災後の学校で仕えました。が、再び東京のマラソンで著名な私立某有名校に職を得て不登校生徒支援。そして、今、自衛隊で登壇させていただき退職後のキャリア支援をさせていただいています。何と不思議な巡り合わせ。思えば、兄も陸上自衛官でしたし、親族にも自衛官は少なくありませんでした。感謝すべきは自衛官の皆さんの素晴らしき人間性との出会いです。約30年間、日々の訓練、海外派遣での過酷な経験、阪神淡路大震災をはじめ、東日本大震災など幾多の災害被災者支援派遣などに人生を賭けたキャリアをお持ちになる人々です。
わたしは福島県人ですが、あの原発事故の際に命をかけた出動した自衛官の人々に感謝しています。自衛隊の人々の使命感を知った瞬間でした。
50代半ば、自衛官は退職を迎えます。誕生日、まさにその日に誇り高く自衛隊を去るのです。そして、第二のキャリアを迎えます。
民間の世界は、未知の世界。どんな戦車の操縦のプロであっても、パラシュート降下のエリートであっても、秘密の諜報の職にあっても、民間に出れば新人。その不安は隠せません。

そのような自衛官の皆さんのお役に立てることが何か、何をさせてもらえるか、これからも一緒に考えていきたいと思うのです。

 

松本利勝

 国家資格キャリアコンサルタント

産業カウンセラー

34年間中学・高等学校で福祉教育、国際理解教育、キャリア教育を担当。

careersg-oneonone.jp

 

プロティアンという時代に流されない生き方

 f:id:careersg:20200115172934j:plain高輪ゲートウェイ駅工事風景 2020/1/115

弊社の事務所は、高輪にあります。ビルの5階にあるのですが、窓からは高輪ゲートウェイ駅の日々進みゆく工事の様子を眺望できるのです。今年の3月に暫定開業し、2024年度には全面開業の予定です。人の往来が増え、経済活動も活発になるでしょう。日々進化する街、それが東京です。

一方、観光や地場産業に魅力を生み出せない地方の街は廃れていくばかり。しかし、これも時代の流れ。人々の求めるものがそこになければ、あるいは求めるものを生み出すエネルギーがなければ、当然の成り行きです。わたしの福島の故郷、小野町も今のところ「リカちゃんキャッスル」以外、注目されるものは何もありません。寂しい限りです。

しかし、この世界のすべては変わりゆくもの。人生もまた、変わりゆくもの。古代ギリシャ神話のプロティアンは、己の生命を生きんとして周囲の変化に合わせて、自らの姿を変幻自在に変えました。そのように私たちもまた、周囲の変化に流されるのではなく、積極果敢に己を変貌させる力が必要なのでしょう。その元になるのは、この世界を面白がる感性でしょうか。そしてそれは、頭で考えるのではなく野生的な身体的欲求の保持することを大切にすることから習得できるのかもしれません。

さて、わたしたちのこの人生、いかにして変幻自在に生かしていきましょうか。

 

松本利勝

国家資格キャリア・コンサルタント

産業カウンセラー

元中高校長

 教員生活30年以上、不登校生徒、その保護者、担任、スクールカウンセラーの相談に乗る。現在も株式会社キャリア・ストラテジーで活動中。

 

穏やかな日常

5秒に1人。つまり1日25000人。5歳未満の幼子が1年にそれを失う数は35万人から500万人。世界で何らかの理由で餓死する数字である。(国連WFP統計)
 「一人の死は悲劇だが、百万人の死は統計だ」(アイヒマン?)大学時代に読んだ、あのシベリア抑留を体験した詩人石原吉郎「望郷と海」で紹介された言葉。衝撃だった。確かに、私の意識では、誰かの苦しみが具体的に伝われば、その人を助けたいと「感じる」。テレビである罪なきひとりの、その不条理な死が現実的に事詳細に伝えられる時に、その一人に感情移入するのだ。しかし、地球の知らないどこか、例えば南スーダンなど。その内戦、飢餓、虐殺のニュースで万人単位でその死が報じられても、何も「感じない」。「あぁ、可哀想だな」と思うだけで、次の旅番組で紹介されるグルメを見る瞬間には、それらの人々の死は跡形もなく心から消失している。
 恐ろしいほどの私たちの非人間的な想像力の欠如は、現代世界の好ましくない秩序を形成するデバイスと化し、世界の餓死生産に寄与している。
 想像力の欠如から私たちを解放するのは、想像力の増幅デバイスである。それは、「努力」なくして生まれない。ある人々はその増幅のために「常識、普通を疑うこと」、「五感を磨く」、「好奇心を持つ」、「観察するだけでなく体験する」など様々な実践的提案をする。そしてしばしば、それは企業の新規開発事業の現場の研修などで語られる。企画開発の現場風景。
ただ、思う。そこで拡げられた想像力を世界のためにどのように用いていくべきなのだろうか。
 今も、この瞬間、5秒にひとり、誰かが命を奪われている。

 

松本 利勝

 国家資格キャリアコンサルタント

 産業カウンセラー

 教育カウンセラー

 元中学高等学校校長

#想像力 #餓死

平和な世界

皆が生きていることに感謝し、人権が尊重され、互いにリスペクトし合い、異文化間の相互理解もつつがなく、誰もが許し合い、認め合い決して傷つけあわない。富める者は、そうでない者に惜しみなくその富、知恵、技術を分かち合い、今や個人でも国家でも、そこに経済格差はない。食料は地球規模で分かち合われ、飢えで亡くなる人々は存在しない。もはや人々に利己的欲望は存在せず、妬みも憎しみも抱かない。ただ地球上のすべての人々の幸いだけを互いに願う。すべての国家は武器を鍬や鍬に変える。核兵器他、すべての殺りく兵器も廃棄され科学はただ平和利用のみが了解事項。放浪難民は故郷に帰還し、国のない者は争い無くして国を樹立することが出来る。ハラスメントもなく、いじめもなく、差別もなく、自らの命を絶つ者も存在しない。そして誰でもがその能力に応じて、望む仕事につく機会が与えられる。学歴によって報酬が変わることもない。
自由さえ、求めなければ。

 

松本 利勝

 国家資格キャリアコンサルタント

 産業カウンセラー

 教育カウンセラー

 元中学・高等学校校長

安曇野の林檎

f:id:careersg:20191105225105j:plain#安曇野

かつての若い教員仲間が、教員を辞めてパン屋になりました。国産の麦を使って、自作の窯でそれはそれは美味しそうなパンを焼きあげるのです。その工房は安曇野にあり、多くの仲間に支えられています。
安曇野の多くのリンゴ畑も、先の台風で壊滅的被害を被ったとのFB。日本全国で頻発する災害の余りの多さに、言葉を失います。世界を俯瞰すれば、貧困や差別、紛争、難民、テロ、温暖化等、問題は山積しています。わたしも若き日は、それらの問題に立ち向かおうとして、インドのスラムに出向いたこともありました。そこは極端な富と貧困が混在する世界でした。糞尿と濁ったスパイスのような淀んだ空気に眩暈を感じました。帰国して、教育こそがそれらの問題に立ち向かう最も強力な武器であると確信を持ちました。以来、難民問題、環境問題、南北問題、沖縄にかかわる私たちの問題等、教科横断的なプログラムを実施してきたのです。文科省総合学習などを提起する前の時代からです。もう35年前の事です。
確かに、教育こそ世界を変える希望の営みです。今でもそれは正しい手段の一つであると確信しています。
しかし、世間が求める学校教育は、必ずしもそのような路線を支持するものではないような気がします。
本当の教育の現場は、学校ではないところにあるのかもしれません。

 

森よ、宇宙よ、光よ、リンゴの樹よ
      我らに真理の風を響かせよ
               と 渇望する

                          無名詩人

 

松本 利勝

 国家資格キャリアコンサルタント

 

 

自転車君、ごめんなさい

5年前に仙台の単身赴任の教員生活に終止符を打ち、青梅に帰りました。その時に持ち帰ったのが彼の地で購入した電動自転車。ママチャリ的なデザインでその黒い車体がお気に入りでありました。北仙台のアパートから30分かけて電動自転車で勤務先の学校に通勤していました。わたしは車の免許を持っていませんでしたし、東京で仕事をする上ではその必要もなかったからです。仙台郊外にある新しい職場にはバスでも行けますが、バスは多少の雨でも遅延がありますので、通勤には不向きでした。また責任ある管理職の立場では朝7時過ぎには学校についている必要がありますので、機動力のある電動自転車が適切だったのです。多少の雪、降雨でも電動自転車での通勤の日々。近隣の学校への挨拶も電動自転車。突然、東京からやってきた校長。生徒や教職員にしてみればさぞ変な人だったに見えたでしょう。
 その苦楽を共にした電動自転車。都心で再び一人暮らしを初めることになり、久しく乗らなくなって放置すること約一年。先日、台風19号が去った後に、久しぶりに作動点検。すると・・・申し訳なかった! 電気系統がおかしい。通電しない。「あぁ、あれほど世話になった自転車君、ごめんなさい。わたしは、何と薄情な奴。自己中人間 ! ・・・必ず修理するから、しばらく待っていてくれ。君はわたしの頼りない尻の下で見知らぬ街のわたしの孤独を慰め支えてくれた友。」
 人は誰かに、何かに助けられながら生かされている、というこの事実を少しは肝に命じないと。自転車だけでなく。
 

国家資格キャリアコンサルタント

産業カウンセラー

元校長

カウンセリング室から

 カウンセラーにはいろいろな相談が寄せられます。少しだけ、わたしの忘れがたい記憶から。ひとりひとり、慈しみの存在です。
                     (以下の相談者には記載を承諾していただいています。)
●  45歳、男性。
あの夏の日、わたしは母の隣に布団を敷いて、床につきました。福島に半年ぶりにお盆帰郷して。たぶん、母は知っていました。わたしが最後の別れに帰ったのだと。母は何も話しませんでした。わたしも子どもの頃のように、傍らに母の温もりを感じて、おばけのような木目の天井をじっと見上げていました。渇いた涙が頬を伝いました。そのとき、そっと母の布団の中に手を入れ、母の手を握りました。母もやさしくぎゅっと握り返してくれました。いつしか、そのままわたしは心地よく眠りの中に吸い込まれていきました。
 次の日、わたしはいつものように兄嫁の朝ごはんを食して、東京に戻りました。母とたわいもない話をして、いつものように「じゃ、また。もう帰るから」。
そしてその年の秋、母は静かにこの世界から旅立っていきました。末期がんであったこと気づかなかったふりをしたまま。
遠い記憶です。

● 小学5年生、男子
ぼくは今、小学5年生です。ぼくはクラス委員をしています。だからA君と一緒にいます。どうしてかというとA君は勉強もできないし、運動おんちだし、ちびでどんくさいからです。クラスのみんなは、A君をいじめはしませんが、話しかけもしません。でも無視もしていません。なんとなく、そんな感じです。ぼくは、A君がいつもひとりでいるのでかわいそうだから、できるだけ一緒にいるのです。でも、本当はA君と一緒にいるのは嫌なのです。A君は面白い話をするわけでもないからです。なのに、ぼくはA君といっしょにいるのです。ぼくは、そんな自分が嫌いです。

●19歳 男性
ぼくの家は貧しいから、仕送りだけでは部屋代も授業料も払えません。だから、死に物狂いで勉強して大学で良い成績をとりました。給付型の奨学金をもらうためでした。そして、ようやく奨学金をもらえたのですが、ぼくはそのお金を、ある日、ねずみ講にだまされてやくざのようなお兄さんにとられてしまいしました。そればかりか、親友までも悪い仲間に引き入れてしまい、結局ともだちを失いました。
苦しいので、ある日、勇気を出して、大学の白い立派なあごひげのチャブレンに相談したら、彼は、ただ数分黙って聴いて、そして、それきりでした。名前も聞かれませんでした。それ以来、偉そうな聖職者は信用していません。あの時、ぼくは、自分の愚かな失敗を誰かにゆるしてほしかった、ただそれだけだったのです。

 

国家資格キャリア・コンサルタント

産業カウンセラー

元中学校・高等学校校長

松本 利勝