本屋さんのカフェ

わたしは、本屋さんが好きなのです。ネットも便利ですが、本の魅力もたまりません。子どもの頃、町に一軒だけあった本屋さんで児童文学の新刊を手にしたときの、あの新刊独特の香は、忘れ難い記憶です。

本は読むものではありますが、その紙質、重さ、表紙装丁、サイズ、文字フォント、インクの色など実際に手に取って初めて伝わるメッセージがありますから、本はその存在そのものが、その価値だと思っています。編集者や作者の思いも感じられます。やはり、本は素敵です。

先日、神楽坂駅すぐ近くの小さな本屋さんにぶらり立ち寄ってみたのですが、実に楽しい空間が広がっていました。芸術、趣味など文化的なものが中心でした。小さなカフェ、小さなギャラリーもあり居心地がいい本屋さんでした。こんな本屋さんが増えると良いな、と思います。

好きな本に囲まれた暮らし、それは心楽しいものです。

松本利勝

心の痛み

木枯らし吹くここ青梅の小高い丘から夕暮れ晩秋の紅葉をみています。遠くに冠雪の富士。眼科に街が見え、市井の人々の暮らしを感じています。

その何気ない日常の生活には、人知れず心に秘めた痛みがあるに違いありません。人の心は、実に複雑繊細で、僅かに文学的に辛うじて表現し得るもののように思います。人が心が傷つき、癒しがたい痛みを刻印されてしまったとき、そのとき、どのように癒しが与えらるのでしょう。

どんな職場、コミュニティでも人は傷つき、傷つけてしまう可能性はあります。あらゆる世代の悩みの第1位は人間関係ですが、人との関わり無くして生きることが出来ない以上、如何にして持続的共生を可能にする人間関係を作るかが、大きな課題になります。

愛する人を失い喪失感に苦しむ人、誰かから心を深く傷つけられたと感じ、あるいは傷つけてしまったと悩み、行き場のない苦しみの内にある人など、それらの人々にとって癒しはどのように与えられるでしょう。

わたしの父は、不慮の交通事故て亡くなりました。加害者がいて、わたしたち家族には憎しみと許さなければならないという義務感とが交錯する中で、しばらく茫然としていました。感情が抑え難く現れ、向き合うのは自分の心の醜さ、弱さ、卑怯さでした。誰にも言えず、何事も無かったように教師の日常を過ごすのですが、心の痛みは、あるとき、ふと心を覆います。哲学や心理学の単なる知識などでは整理がつくものではありません。

人の痛みを癒すのは人の痛みを知り、向き合っている人かも知れません。我が身に問いつつ、星野富弘さんの詩のこんな言葉を思い出します。

喜びが集まったよりも、悲しみが集まった方が、幸せに近いような気がする。強いものが集まったよりも、弱いものが集まった方が真実に近い気がする。

企業でも、家庭でも、学校でも、わたしたちは、ときに傷つき、ときに傷つける体験をしてしまうこともあるでしょう。しかし、だからこそ生きる道が見えるのでしょう。

人の癒しは、深い痛みの受容から生まれる、そんな気がします。

松本利勝

国家資格キャリアコンサルタント

産業カウンセラー

元校長

あまり知らない障がい者雇用の課題

f:id:careersg:20171118003101j:plain日本キャリアデザイン学会テーマ「障がい者雇用」ライブ 2017.11.17   於:明治大学リバティ館

昨夜、久しぶりにキャリアデザインの勉強会に。テーマは「障がい者雇用」。教員になって以来、生徒と知的障がい者、盲学校生徒との交流プログラムを企画してきました。それは健常者の生徒たちに、この世界には多様な人々が生きていること、その共生、今で言えば心のバリアフリー、ダイバシティ教育を伝えたかったからです。が、実はわたしの叔母が下半身不随の障がい者で、地域からも身内からも差別されていたことを子供のころから理不尽であると思っていたことがもともとの動機です。。

今は「障がい者雇用促進法」が出来て、一定の規模の企業は全従業員の2.2%は障がい者を雇用することになりました。(例えばヤマト運輸従業員15万9900人。障がい者の従業員3519人)しかし、実は企業はどのように「障がい」を理解し、かつ、どのように彼、彼女を受け入れ、どのような職種、職場を提供するか、その取り組みは始まったばかりです。送り出す特別支援学級、学校の先生がたの知識も、経験も多くはありません。障がい者のキャリア教育という概念自体がまだ、周知されていないのです。

確かに、わたしの経験値からしても、特別支援学校の先生方は必死に努力しているのですが、普通学校の一般の教員の意識の中には障がい者の雇用、そのキャリア教育という問いそのものが希薄です。少なくても、わたしはそうでした。

施設を訪問し、交流まではするのですが、そこにはどこか同情、上から目線、「わたしいいことしてる」意識がありました。そこで終わりでした。今回の講師の方からの問いかけ。心に刺さりました。「先生方は障がい者に自立をさせたい、とおっしゃるが、先生自身、自立しているのでしようか?」確かに、わたしたち教員のほとんどは「障がい」理解にしても「就労可能な企業。職場」についてもよく知らないのです。自立した生き方も模索している最中でしょうし、自立とは何か、それも自覚できていないかもしれません。

また、次の言葉も忘れられません。「障がい者をサポートする側へのサポートが必要」。確かにそうでした。わたしも教員として、管理職としてサポートを求めていました。ひとりでは、自分の課題にも気づきませんし、励ましも与えられませんから。

今のわたしが出来ることのひとつは生徒をサポートする先生方をサポートすること。またそのようなコンサルタントをサポートすることかな、と思っています。

「障がいとはその時代のスタンダードに合っていないこと」。障がい、という言葉の定義も国により、時代により変わるようです。わたしたちの学びはさらに深めなければならないと、あらためて考えさせられた夜でした。

 

元校長 

キャリアコンサルタント

産業カウンセラー     松本  利勝

 

 

 

 

 

 

 

旅にでかけたボタン

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 あまりにも寒い朝夕。ダウンのコートを着てみました。が、よく見るとこげ茶の前ボタン一個、見当たりません。どうやら夏の間に旅に出かけてしまったようです。などと童話のようなお話に興じている余裕はなく、用事で出かけた吉祥寺のユザワ屋さんで急ぎ似たようなボタンを購入。しかし、裁縫道具がない。それでファミリーマートで購入、近くのドトールの片隅でいざボタン付け。糸を針の小さな小さな穴に通すのに苦戦しつつ、他の頼りなくぶらりとしているボタンたちも補強。ひとまず、安心。

 このようなささやかな作業、男子も普通にできなければなりません。かつては、父親世代の思い込み、「男子は外で仕事。女子は家事」。若い方でも本音はなんとなくそう感じている人もまだまだ少なくないように思います。ジェンダーフリーなどという概念も実は、根付くには時間がかかるのでしょう。職場でも、女性と男性の職種の垣根はなくなりつつありますが、これからです。例えば、男性保育士の割合は平成22年の統計で1万3,160人。保育士全体数は47万4,900人。2.8%に過ぎません。毎年、男性保育士は増えてはいますが、日本社会の労働環境の現実です。地方ではその傾向は特に顕著ではないかと思います。と福島の田舎町出身のわたしは実感しています。

 とはいえ、少子高齢化の社会の今、確実に労働人口の確保が必要なことも現実です。ジェンダーフリーでなければその確保も難しい時代になりました。就職もジェンダーフリーの発想で、思い込みを捨て、キャリア開発をするのも人生の新たな可能性を開く道でしょうか。

 わたしも、裁縫はともかく、ひょっとして今まで女性の仕事とされていた仕事が合うのかも知れないと秋の夜長、焼き芋を食べながら思うのでありました。

 みなさんはいかがでしょう。みなさんの新しい可能性。

 

元 校長

 キャリアコンサルタント

 産業カウンセラー

  松本 利勝

 

 

クマの身だしなみ

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テディベアの可愛い絵を見つけました。表参道沿いの小洒落た小さなお店で。自分のような冴えないおじさんには似合わない通りですが、通勤路なのです。彼は実に上品な身だしなみ。 ところで、きょうは、石和温泉のある施設でカスタマーサービス向上プログラムの講師のお仕事でした。チェックポイントのひとつは社員の身だしなみです。 A子さん。髪の毛が茶髪。笑顔が、素敵なのに残念。 B男さん。靴磨いてない。クレーム対応のロールプレイはソツがなかったのに残念。 C子さん。お辞儀が浅くて、しかも背中が丸い。敬語の使い方が素晴らしかっただけに残念。 D男さん。ズボンシワシワ。アイロンかけないと。素朴な人柄が好感をもてましたのに残念。 E子さん。面接官とのアイコンタクト、わたしだけ見つめすぎ。怖くなります。立ち居振る舞いが綺麗でしたのに残念。 接遇研修は、特に接客業に携わる方には必須ですが、身につけるのは容易ではないようです。社員の皆さんはマニュアルを持っているとのこと。中には接遇の理論もご存知の方もいらっしゃいましたが、現場での実践は簡単ではないのですね。 ディズニーのクルーと称されるスタッフの接遇研修の質の高さは有名ですが、ディズニーで遊ぶ研修も効果的かも知れません。 見た目も中身も見られるのは、接遇研修の基本。まさにメラビアンの法則! (メラビアンの法則 アメリカUCLA大学の心理学者/アルバート・メラビアンが1971年に提唱した概念。人物の第一印象は初めて会った時の3〜5秒で決まり、またその情報のほとんどを「視覚情報」から得ていると言う概念。メラビアンが提唱する概念において、初対面の人物を認識する割合は、「見た目/表情/しぐさ/視線等」の視覚情報が55% 、「声の質/話す速さ/声の大きさ/口調等」の聴覚情報が38%、「言葉そのものの意味/話の内容等。」の言語情報が7%と言われている。)(Wikipedia

可愛いネコ

息子が、タイ旅行で大きなネコに頬ずりしている写真を送ってきました。びっくりです。よーく見るとそのネコ、大きな大きな虎さん。息子はネコは好きですが、幼児の頃から触れることはできなかったはず。タイで開眼したようです。可愛いネコです。息子が今までできなかったことも環境を変えることで、可能になった。そういうことでしょう。

環境を変える。それは新しい人との出会いがある、ということです。一度は決めて就いた職業も、定年になったり、どうしてもミスマッチしていたり、また新しい可能性にチャレンジしてみたいその時、思い切って環境を変えてみるのもありなのではないでしょうか。

わたしも、神戸から東京、仙台、そして再度東京へ。教員という職業は変わりませんが、環境は変わりました。男子校、女子校、男女共学校全て経験したことになります。その都度、大きな決断が求められました。環境を変えることで、それまで見えなかったもの、自分の阿保さが見えて、失望したり、感激したりいたしました。

特に校長時代には、理事会運営、組合対応、保護者対応、地域の自治会の人々との信頼関係構築、マスコミ対策、教員採用と人事についてなど、教頭時代には知り得なかった事を知りました。守秘義務がありますので、残念ながら、ここで紹介は出来ませんが、想像も出来ない、驚愕の事情でした。

きょうは、明日から始まる石和温泉である企業のカスタマーサービスの外部審査員の仕事のために甲府に前泊。

顧客への本当のサービス、接遇とは何か、あらためて考えさせられる仕事です。人を大切にする、という当たり前をどう現場で実践するか、です。この学校とは異なる環境で新しい自分を見つけています。

明日は、髪を整え、ビジネススーツで仕事です。

元校長

松本利勝

生徒はいつでも座席交換したい

f:id:careersg:20171027110752j:plain横浜の外交官の家 レトロな机が素敵

最近、私の教えている中学1年生の一部の生徒たちが授業が始まると「先生!座席交換してほしい」と叫ぶのです。理由を聞くとはっきりしません。どうやら、今の席だと嫌いな人が近いとか、仲良しの子と一緒にいたい、ということのようです。かなりわがままな理由でもあるのですが、わたしの返答。「いいですよ。ただし、次の授業までに、提案者が具体的な案を考えてきてください。そして次の条件を前提にしてください。座席を変えることで、おしゃべりが増えたり、誰かが孤立したり、寂しい思いをしたりしないような案であること」すると、生徒たちは、何も言えなくなりました。生徒たちの本音はとにかく「あの子がきらい。あの仲の良いあの子といたい。おしゃべりもしたい」ということだからです。こうして、少しだけ自分の気持ちをみつけます。

生徒たちは、学校と言う社会の中で、今人間として何が大切か必死に学んでいます。ですから、わたしたち大人は、その勝手な愛情、思い込み、そして道徳的な信念を生徒に押し付けてはなりません。子供に関わり、彼らと共に大人として自律的に悩む時こそ、私たち自身の人としての成長の時ですから。

生徒たちは今、夏休みが終わり、中間試験も終わり、文化祭の準備期間になり、かつ思春期の心の揺らぎが激しい時期を過ごしています。クラスの雰囲気も微妙でデリケートです。身長も伸び、心身共に成長するこの時期、健やかな反抗期を過ごしてほしいと願います。

わたしにとっては孫のようなこの子供たち。長年の教員経験。生徒の母親もわたしの大切な教え子であることもあります。先生たちも懸命です。何事も俯瞰して、冷静に大人の判断で学校という人間の世界を見守りたいものですね。

 

元校長

松本 利勝