難民のクリスマス

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青梅市 知的障がい者施設 友愛学園の入所者作品「クリスマスツリー?」なんと素晴らしい作品なのでしょう。

 

サンタさんを信じる子供たちがいるご家族は、そのプレゼントに思いを馳せる楽しい日々をお過ごしでしょうか。わたしも、親になってからはクリスマスイブの夜、幼い息子の枕元にギリシャ語で書かれたお手紙と「自転車」が置かれているのを目撃しておりました。息子の驚くうれしい顔が忘れられません。懐かしい思い出です。

さて、前回はマリアとヨセフ、幼子イエスが博士たちや羊飼いから祈りを捧げられた降誕物語が話題でした。では、この貧しく無力な聖家族がその後どう生きたのかをお話しいたしましょう。

ヘロデ王は、恐ろしくも己が地位、権力を守らんとしてキリスト殺害を企み、領地内の2歳以下の男の子の皆殺しを命じたことは、前回お話した通りです。

その時、ヨセフは、その計画を察知してマリアと赤子イエスを連れてエジプトに逃避行したのでした。おそらくはただ神への信仰のみを支えとして。故郷ナザレではこの家族は行方知れず。村人、親族はどれほど心配したことでしょう。エジプトで、ヨセフはどのように家族を養い、守ったのでしょうか。当時14歳程度と思われる母マリアも初めての子育てを見知らぬ異国の地で、さぞ大変だったでしょうね。

やがて、ヘロデは亡くなり、聖家族はナザレに帰還することができました。

 

クリスマス物語は、幼子の虐殺事件と難民となった無力で貧しい家族の物語でもあるのですね。現在の難民問題に通じる重いテーマでもありますけれど。

 

松本 利勝

 

 

 

 

 

 

 

 

東方からやってきた博士たちのプレゼント

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今日からアドベント待降節降臨節)ですね。欧米では、あちらこちらでクリスマスマーケットがあり、スイス大使館ではクリスマス料理のイベントも開かれるようです。楽しい気分ですね。

ところでクリスマスは1月6日のエピファニー(顕現日、公現日)まで続くのですが、ご存じの方は多くはないようです。日本ですと25日のクリスマスが終われば、あっという間にお正月を迎える師走の光景に早替わり。面白いですね。ですが、クリスマスは1月6日まであるのです。ちなみにエピファニーとは、キリストは人類全ての救い主であることが公になった、ということです。

さて、聖書物語ではキリストがベツレヘム、今のイスラエル死海の東にある村ですが、その馬小屋に生まれました。

神のご計画、聖霊により。ところがユダヤ王ヘロデは、自分の地位を脅かすかも知れぬキリスト(救い主、メシア。英語ではメサイア)の殺害計画を立てるのです。星に詳しい東方 の博士たちにキリスト誕生の場所を探すように依頼したのです。彼らには殺害計画を知らせずに。博士らは星⭐️の導きに従い、キリストを見つけ、そして黄金、乳香、没薬を捧げます。乳香とは神の香として希少価値のある乳白色の樹液の塊。キリストが真の王であることを示します。没薬とはミルラとも呼ばれるやはり希少価値のお香。ミイラ作りにも防腐剤として用いられるもの。キリストがやがて十字架にかけられ、葬られ、復活されることを暗示するものです。 博士たちのプレゼントには、こんな深い意味があったんですね。みなさんは、クリスマスのプレゼントには、どんな思いを込めるのでしょうか。 ではまた。 松本利勝

クリスマスの前に

クリスマス。子どもの頃は、サンタが街にやってきて、プレゼント🎁をわたしの枕元に置いてくれるワクワクする日でした。小学校高学年になると何故かサンタを忘れてしまいました。もちろんそんな子どもにプレゼントは届きませんでした。まだ、サン.テグジュペリ「星の王子様」の「大切なものは目には見えない」という言葉に出会っていなかった頃です。

キリスト教のカレンダーでは、11月30日に最も近い日曜日からアドベント(Advent)に入ります。今年は12月3日から。それはクリスマス🎄やキリスト誕生物語を木製や陶器の人形で表すネイティビティ(nativity)が飾られ、人間の救い、癒しとはどのようなものかを考える期間です。それ故にこの期間はクリスマスまでの神聖な時となります。

日本の煌びやかなイルミネーションも光のファンタジーとして何かしらわたしたちに楽しい思い出を残すなら、意味はあります。プレゼント交換も互いの思いの尊い確認作業でしょう。

年末、以前は山谷地区のホームレスの人々にカレーを届けるボランティアに参加していたのですが、最近は足が遠のいています。目に見えないものより、目に見えるものばかりに心を奪われているのかも知れません。

ホームレスの人々のそれまでの人生を思います。どれだけの悲しみや悔しさ、怒り、絶望、諦めがあったのでしょう。今年の年末は、最近忘れていたものを思い出してみようかと思います。

松本利勝

本屋さんのカフェ

わたしは、本屋さんが好きなのです。ネットも便利ですが、本の魅力もたまりません。子どもの頃、町に一軒だけあった本屋さんで児童文学の新刊を手にしたときの、あの新刊独特の香は、忘れ難い記憶です。

本は読むものではありますが、その紙質、重さ、表紙装丁、サイズ、文字フォント、インクの色など実際に手に取って初めて伝わるメッセージがありますから、本はその存在そのものが、その価値だと思っています。編集者や作者の思いも感じられます。やはり、本は素敵です。

先日、神楽坂駅すぐ近くの小さな本屋さんにぶらり立ち寄ってみたのですが、実に楽しい空間が広がっていました。芸術、趣味など文化的なものが中心でした。小さなカフェ、小さなギャラリーもあり居心地がいい本屋さんでした。こんな本屋さんが増えると良いな、と思います。

好きな本に囲まれた暮らし、それは心楽しいものです。

松本利勝

心の痛み

木枯らし吹くここ青梅の小高い丘から夕暮れ晩秋の紅葉をみています。遠くに冠雪の富士。眼科に街が見え、市井の人々の暮らしを感じています。

その何気ない日常の生活には、人知れず心に秘めた痛みがあるに違いありません。人の心は、実に複雑繊細で、僅かに文学的に辛うじて表現し得るもののように思います。人が心が傷つき、癒しがたい痛みを刻印されてしまったとき、そのとき、どのように癒しが与えらるのでしょう。

どんな職場、コミュニティでも人は傷つき、傷つけてしまう可能性はあります。あらゆる世代の悩みの第1位は人間関係ですが、人との関わり無くして生きることが出来ない以上、如何にして持続的共生を可能にする人間関係を作るかが、大きな課題になります。

愛する人を失い喪失感に苦しむ人、誰かから心を深く傷つけられたと感じ、あるいは傷つけてしまったと悩み、行き場のない苦しみの内にある人など、それらの人々にとって癒しはどのように与えられるでしょう。

わたしの父は、不慮の交通事故て亡くなりました。加害者がいて、わたしたち家族には憎しみと許さなければならないという義務感とが交錯する中で、しばらく茫然としていました。感情が抑え難く現れ、向き合うのは自分の心の醜さ、弱さ、卑怯さでした。誰にも言えず、何事も無かったように教師の日常を過ごすのですが、心の痛みは、あるとき、ふと心を覆います。哲学や心理学の単なる知識などでは整理がつくものではありません。

人の痛みを癒すのは人の痛みを知り、向き合っている人かも知れません。我が身に問いつつ、星野富弘さんの詩のこんな言葉を思い出します。

喜びが集まったよりも、悲しみが集まった方が、幸せに近いような気がする。強いものが集まったよりも、弱いものが集まった方が真実に近い気がする。

企業でも、家庭でも、学校でも、わたしたちは、ときに傷つき、ときに傷つける体験をしてしまうこともあるでしょう。しかし、だからこそ生きる道が見えるのでしょう。

人の癒しは、深い痛みの受容から生まれる、そんな気がします。

松本利勝

国家資格キャリアコンサルタント

産業カウンセラー

元校長

あまり知らない障がい者雇用の課題

f:id:careersg:20171118003101j:plain日本キャリアデザイン学会テーマ「障がい者雇用」ライブ 2017.11.17   於:明治大学リバティ館

昨夜、久しぶりにキャリアデザインの勉強会に。テーマは「障がい者雇用」。教員になって以来、生徒と知的障がい者、盲学校生徒との交流プログラムを企画してきました。それは健常者の生徒たちに、この世界には多様な人々が生きていること、その共生、今で言えば心のバリアフリー、ダイバシティ教育を伝えたかったからです。が、実はわたしの叔母が下半身不随の障がい者で、地域からも身内からも差別されていたことを子供のころから理不尽であると思っていたことがもともとの動機です。。

今は「障がい者雇用促進法」が出来て、一定の規模の企業は全従業員の2.2%は障がい者を雇用することになりました。(例えばヤマト運輸従業員15万9900人。障がい者の従業員3519人)しかし、実は企業はどのように「障がい」を理解し、かつ、どのように彼、彼女を受け入れ、どのような職種、職場を提供するか、その取り組みは始まったばかりです。送り出す特別支援学級、学校の先生がたの知識も、経験も多くはありません。障がい者のキャリア教育という概念自体がまだ、周知されていないのです。

確かに、わたしの経験値からしても、特別支援学校の先生方は必死に努力しているのですが、普通学校の一般の教員の意識の中には障がい者の雇用、そのキャリア教育という問いそのものが希薄です。少なくても、わたしはそうでした。

施設を訪問し、交流まではするのですが、そこにはどこか同情、上から目線、「わたしいいことしてる」意識がありました。そこで終わりでした。今回の講師の方からの問いかけ。心に刺さりました。「先生方は障がい者に自立をさせたい、とおっしゃるが、先生自身、自立しているのでしようか?」確かに、わたしたち教員のほとんどは「障がい」理解にしても「就労可能な企業。職場」についてもよく知らないのです。自立した生き方も模索している最中でしょうし、自立とは何か、それも自覚できていないかもしれません。

また、次の言葉も忘れられません。「障がい者をサポートする側へのサポートが必要」。確かにそうでした。わたしも教員として、管理職としてサポートを求めていました。ひとりでは、自分の課題にも気づきませんし、励ましも与えられませんから。

今のわたしが出来ることのひとつは生徒をサポートする先生方をサポートすること。またそのようなコンサルタントをサポートすることかな、と思っています。

「障がいとはその時代のスタンダードに合っていないこと」。障がい、という言葉の定義も国により、時代により変わるようです。わたしたちの学びはさらに深めなければならないと、あらためて考えさせられた夜でした。

 

元校長 

キャリアコンサルタント

産業カウンセラー     松本  利勝

 

 

 

 

 

 

 

旅にでかけたボタン

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 あまりにも寒い朝夕。ダウンのコートを着てみました。が、よく見るとこげ茶の前ボタン一個、見当たりません。どうやら夏の間に旅に出かけてしまったようです。などと童話のようなお話に興じている余裕はなく、用事で出かけた吉祥寺のユザワ屋さんで急ぎ似たようなボタンを購入。しかし、裁縫道具がない。それでファミリーマートで購入、近くのドトールの片隅でいざボタン付け。糸を針の小さな小さな穴に通すのに苦戦しつつ、他の頼りなくぶらりとしているボタンたちも補強。ひとまず、安心。

 このようなささやかな作業、男子も普通にできなければなりません。かつては、父親世代の思い込み、「男子は外で仕事。女子は家事」。若い方でも本音はなんとなくそう感じている人もまだまだ少なくないように思います。ジェンダーフリーなどという概念も実は、根付くには時間がかかるのでしょう。職場でも、女性と男性の職種の垣根はなくなりつつありますが、これからです。例えば、男性保育士の割合は平成22年の統計で1万3,160人。保育士全体数は47万4,900人。2.8%に過ぎません。毎年、男性保育士は増えてはいますが、日本社会の労働環境の現実です。地方ではその傾向は特に顕著ではないかと思います。と福島の田舎町出身のわたしは実感しています。

 とはいえ、少子高齢化の社会の今、確実に労働人口の確保が必要なことも現実です。ジェンダーフリーでなければその確保も難しい時代になりました。就職もジェンダーフリーの発想で、思い込みを捨て、キャリア開発をするのも人生の新たな可能性を開く道でしょうか。

 わたしも、裁縫はともかく、ひょっとして今まで女性の仕事とされていた仕事が合うのかも知れないと秋の夜長、焼き芋を食べながら思うのでありました。

 みなさんはいかがでしょう。みなさんの新しい可能性。

 

元 校長

 キャリアコンサルタント

 産業カウンセラー

  松本 利勝