とことん時代から遅れよう

f:id:careersg:20180511001258j:plain一澤信三郎帆布」社長一澤信三郎氏

カンブリア宮殿」という番組を見ていましたら、面白い人が紹介されていました。

一澤信三郎氏です。京都の老舗「一澤信三郎」社長です。若いころは朝日新聞で働いていらしたそうですが、父の経営する帆布でカバンを作る老舗の跡取りとしてセカンドキャリアを歩んだ方です。やがて父が亡くなると経営権の相続で長男である兄と争い一度はすべてを失うことになりました。しかし、職人さんたちは全員彼の元に集まり、再出発をしたのだそうです。その時、全員で伝統を守りつつ、革新的な仕事もするようになって活路を拓いたと一澤さんは振り返ります。見えるものはすべて失ったかもしれませんが、人は残り、その人々が未来を築いたのです。その商売は一店舗のみ。支店も作らず、海外展開もしません。莫大な利益もありません。しかし定年もありません。子育てのある人は時短OKです。昔からの働き方です。時代から遅れている経営なのかも知れませんが、今やその製品は世界に認められ、海外からお客も殺到しています。顧客と直にお話をし、心を込めて生み出した製品を慈しみ、修理も受け付ける日本古来の商売の仕方です。職人さんもいつまでも生き生きしています。古くて新しい働き方。ここには働き方改革など無用です。昔からの形が働き方改革そのものです。

経営学の理論をわたしはあまり存じません。しかし、人を大切にし、育て、人と人とをつないでいく仕事の仕方がわたしは好きです。元の仕事である学校の教師もそうでしたし、今のキャリア・コンサルタントの仕事も同じです。

 

松本 利勝

国家資格キャリアコンサルタント

産業カウンセラー

元校長

 

 

朦朧なコミュニケーションの深さ

今、東京近代美術館で「横山大観展」が開催されています。近現代の日本画の巨匠である横山大観画伯の巨匠たる所以はその朦朧とした画風です。伝統的な日本画の手法に革新的な大観独自の余白を生かした画風は、観る者を幽玄、かつ曖昧な朦朧とした深淵な世界に誘います。わたしは、しばしその世界に圧倒されて我を忘れてしまいました。

 

大観の描法は敢えて対象を明確な線で描きません。水墨画的な曖昧朦朧なぼかし技法は、わたしたちに見えない何かがそこにある、と想像させるのです。その時、わたしたちは無限大に想像力が羽ばたきます。

 

さて、このような世界観は、わたしたちのコミュニケーションとどのように関係するのでしょうか。異文化コミュニケーション論では、しばしば、自分の意図はことばで明確に伝えないとわからない場合がある、だからことばではっきり伝達してください、と言われます。確かに相手が好きという感情を「わたしはあなたを愛してます」と伝えないと通じない人もいます。しかし、例えば相手との恋愛関係が成立している場合は相手の目を見て「わたしは、、、」だけで、その愛情が伝わる場合もあります。勿論、誤解になる場合もありますが、相手の想いを想像して、ことばではない曖昧朦朧な表現だからこそ伝わる愛情もあるのではないでしょうか。

 

西洋画にはない、大観の朦朧体画風が世界でも高く評価されるなら、このような朦朧体的コミュニケーションも、時に意味を持つかもしれない、そう思うのはわたしだけでしょうか。

 

ちなみにわたしは、妻に愛してる、なんて言った記憶はありません、、。

 

 

松本利勝

 

 

 

「明るく元気」は正しいのだろうか

四月も半ば、新しい職場、学校も新年度の行事が終わり、やや落ち着きをを取り戻した頃でしょうか。

学生さんや職場の新人さんたちは、慣れない環境で同学年、同僚と上手にコミュニケーションをとれているでしょうか。

わたしたち、キャリアコンサルタントは、就活支援で「笑顔を忘れずに、さぁ口角をあげましょう。コミュニケーション力を高めるには大切なことですよ」とお伝し、その練習もいたします。確かにわたしたちは笑顔の人に悪い印象はもちません。落ち込んでいるとき、笑顔の同僚からさりげなく、言葉をもらうと元気になりますね。会社の営業でも、販売業務でもそれは同じです。

学校でも「明るく元気なことが1番良いことだ」と言われます。しかし、実は、ここに落とし穴があります。

学校で誰かが、仲間外れにされる原因のひとつは、その誰かが、「暗い性格」だと決めつけられることです。例えば読書が好きで仲間と群れず、自立的な生徒が、しばしばその対象になります。真面目に勉強する生徒も、時にその対象になることもありますね。良い子とは明るく元気な子、という価値観です。

人間は本来、感情豊かな存在です。誰でも悩み、暗い表情にもなりますし、また太陽のように輝く笑顔を見せることもあります。光と闇。わたしたちの心にはその両方があり、それが人の自然の姿です。もちろん。経済的利益、生産効率を求める職場の場合は、仕事としてホスピタリティ溢れる笑顔が求められるのは不可避のビジネスマナーとも言えますが、人格を育てる学校、社会は、そうであってはなりません。

明るい笑顔の人生には、その背後に数え切れない暗い悲しみがあります。その事を知らずに、明るさばかりが、求められる世界はとても危険です。 さて、これから、全国で強く導入される道徳なる教科はいかがでしょうか。

新年度、自分の人生を、明るく、時に意味ある豊かな暗さを味わい深く耕せると良いな、と思います。

松本利勝

過去を振り向かない勇気

日本の美しい四季に幸せを感じます。故郷、福島の三春の滝桜、そろそろ満開でしょうか。

毎年、その優美な枝垂れ桜を見せてくれる滝桜ですが、一期一会の艶やかさです。昨年とも異なる桜色、枝ぶり、風に揺れる風情。来年も異なるでしょう。

滝桜は過去から進化を続けています。過去の我が栄光、苦悩にとらわれず。わたしたち人間は、いつまで過ぎ去った出来事に心を覆われてしまいがちですが、しかし、それでは未来は築けません。

古の物語を思い出しました。ある財産家の女性。

長く住んだ街が突然の火山爆発。あまりの急なことで身ひとつで逃げる途中、数多ある財産を惜しみ、ふと振り向いてしまったのです。その瞬間、彼女は石になってしまいました。

過去は変わりません。過去は現在の今の自分の糧になっていますが、過去にしがみついたり、あの時、こうすれは良かった、と思い悩んでも未来は作れません。

心が石になるのです。頑な石に。

四月。新しい季節を生き抜いていきましょう。かつて見たこともない感動の春が到来しています。

松本利勝

国家資格キャリアコンサルタント

産業カウンセラー

先生たちと生徒たちの心模様

三月は、卒業式の季節ですが、卒業は若者たちだけの出来事ではありません。先生方もまた、夢を目指して教職を捨て、新しい道を歩む人々もいらっしゃいます。

ある若い教師は、熱い思いを持ち、数年間、教壇に立っていました。しかし、思春期の心揺らぐ難しい子どもたちとの格闘に疲弊してしまったのです。そして、一旦、専任教職を辞する決断。

終業式の数日前、その人は、生徒たちに別れの挨拶をされました。挨拶を終え、教員室に戻る途中、いつも授業をうるさくしていたある生徒が「先生が辞めるのは、俺が言うことを聞かなかったからですか?」と神妙に話しかけてきたのです。

生徒たちの心に何が起きたのでしょうか。 わたしには「先生、定年ですか?」と、生徒たち。「まぁ、そうかなぁ。でも、新しい夢にチャレンジしたいんだよ。」と笑顔のわたし。

卒業は子どもたちも大人たちも転機の時。

キャリアとは苦い、時に美しい転機を重ねることでもありますね。

キャリア教育とは、実は人々の人生の心の揺らぎ、悲しさ、喜びに思いを寄せることでもあるのでしょう。

そのような教育に、わたしはチャレンジし続けて行きたいと思います。新しい世界で。

松本利勝

国家資格キャリアコンサルタント

産業カウンセラー

宮沢賢治先生のキャリア

f:id:careersg:20180303113405j:plain教室の宮沢賢治先生

 

 教員もいろいろなキャリアがあります。

 高校時代に国語の教科書で習った宮沢賢治先生のキャリアもユニークでした。わたしも福島の片田舎で生まれ育ちましたから、少しだけ賢治先生のイーハトーブの感覚はわかるような気がします。「銀河鉄道の夜」には宗教的な知見に溢れた作風もあり、理系文系の枠を超えた壮大な世界観が見て取れます。彼は「先生」という職種の中で彼独自のキャリアアップにチャレンジていたのです。

 賢治は、また音楽にも精通していました。岩手盛岡に在りながら洋楽も楽しんでいました。ー例えば、Gavotot/Jean Becker,Haciendaーthe society tango,etc。仙台在住の佐藤泰平先生(元立教女学院短期大学教授。礼拝音楽に関する委員会でご一緒させていただきました)がその著「宮沢賢治の音楽」で詳しく紹介されています。-

 自由な賢治の精神世界、なんと素敵な魅力でしょう。先生と言う仕事も楽しいものです。あと、1か月、学年末試験をして成績をつければ一区切り。また新しいキャリアにチャレンジです。賢治「先生」のように。しばらくしたら、賢治の聴いた音楽を蓄音機で聴けるようなミニ企画でもしたいものです。三月、盛岡でされるようですが。

松本 利勝

国家資格キャリアコンサルタント

産業カウンセラー

元 校長

 

 

 

 

 

人はなぜ努力するのだろう

 しばらく、考えていました。人はなぜ、努力するのだろう、と。(きょうは観念的なお話しでつまらないかもしれませんね。)時に平昌オリンピックを見ながら。選手たちは、おそらく想像を絶する努力をしてオリンピック選手に選出され、なおかつ、そこで活躍するなど、もはや超人としか思えません。オリンピックに限らず、人は何事かを成し遂げようと努力します。必ずしも世に認められなくても、です。

 わたしも、努力したことがないわけではありません。中学1年生、野球部時代、わたしは捕手でしたが、どうしても二塁まで球が届かず、悔しい思いをしていました。毎日、帰宅して、家の前の堤防から川に石投げをして鍛えました。そして二年生の夏、ついに、二塁まで球が届いたのです。監督が褒めてくださったその瞬間、言いようのない達成感に満たされたことを思い出します。

 大人になり、還暦を越えた今、あらためて人はなぜ努力するのか、ひとつの結論に至りました。笑われるような考えかも知れませんが。それは、自己と宇宙が一つになるためではないかと。この宇宙の構成物質の未だ解明されぬ何らかの法則があるならば、自己の存在の究極の姿から発せられるエネルギーが宇宙の根源的な法則と一致したときに、人は、時空を超えた命の本質を感得する、そう考えることはできないでしようか。人は無意識、無自覚にその神秘の感覚を求めているのではないかと思うのです。少年のわたしが二塁まで球をノーバウンドで投げきった、あの感覚は、まさにそのようなものでした。

  このような論理は、もちろん昔からプラトンや仏教の哲学や宗教の世界で論じられてきたことですが、それらはこの世界の真理を何とか、言葉で説明しようとした軌跡のように思えるのです。

 今夜、オリンピックは終わりましたが、人が努力する意味をあらためて考えさせられました。人の命は、いつか塵に帰るものですが、決して虚無の中に消失してしまうわけではないのでしょう。それは努力と言う魔法の力によって、証明できるもの、そのように思えます。この問いは、実は神学生時代から探求してきた問題でした。

 オリンピック、素敵でした。

 

松本 利勝

国家資格キャリアコンサルタント

産業カウンセラー

元校長