履歴書の写真は、、?

大学生の内定率は既に約40パーセントだそうです。6月から就活解禁のはずですが、人材不足の中小企業が青田買いをしているようです。しかし大学生は売り手市場か、といえばそうでもなく、多くの人々が望むブランド価値のある企業は狭き門です。中高年の再就職も同じです。

さて、きょうは就活に失敗する履歴書について考えてみたいと思います。

誤字脱字が多いこと。友人に読んでもらい確認しましょう。誰でも自分のしていることは客観的には見えません。頼める友人がいなければ、時間をおいて三度見直おしましょう。それから、、、、

顔写真が暗いこと。爽やかさゼロ。よく見かける駅改札出たあたりにある千円位で撮れる証明写真で自己流で撮ってしまう場合などです。その値段で爽やかな笑顔の美しい写真を撮れるのは極稀な選ばれた人だけ。写真で一生の仕事が左右されるなら、ここはお金かけましょう。プロは上手に不自然にならない程度に修正もしてくれます。

実はわたし、数年前、意を決して新たに就活を始めた頃、安くあげようとしてあるビルの片隅にあった小さなボックスで履歴書用写真を撮ったのです。するとそこに写るのは目つきの悪い、不自然な笑顔の中年男。余程疲れていたのか、これが他人様に晒しているリアルな自分なのかと愕然といたしました。変にリアルな写真は履歴書には不向きです。以後、その写真を思い出し、笑顔、身だしなみ、立ち居振る舞いには気遣いをするように意識しています。とにかく写真はプロに依頼するのが一番です。皮膚のシミなども程よく消してくれます。

履歴書の写真。あなどれません。わたしも管理職として沢山の履歴書を拝見いたしましたが、爽やかな笑顔の写真は好印象でした。第1ハードルクリアです。糊がはみでていたり、曲がっていたり、サイズが合わない写真なら、ここで終わりです。

履歴書の書き方、まだまだ注意しなければならないことがありますが、きょうはこの辺で。

松本 利勝

国家資格キャリアコンサルタント

産業カウンセラー

元校長

失うことの豊かさ

君たちはどう生きるか」。吉野源三郎氏のこの古典的とも言うべき著書がベストセラーです。私たちはこの人生をどう生きるべきか、永遠の問いです。

わたしが若き日、神学を学んだ理由もこの答えを見つけたかったからです。就活などより、生きるためにどうしても探求すべき課題だったのです。

誰でも、いつまでも若くはありません。老いて、或いは病を得て命は尽きてしまいます。心理学者ユングは人生の半ばから人は失うことを受け入れる期間に入るのだ、と述べています。確かに、40代頃から体力も知力もそれまでのようにはいきません。

わたしも還暦を越えていますが、失うが故に見える風景があるのだと感じはじめています。体力の衰え、心の弱さを受け止める力があるからこそ見える景色です。それは命の愛しさや輝きです。路傍の石ころひとつ、駆除される外来種のポピー一輪にも存在することの神秘を感じます。受け止めるその力こそ人生の後半の輝きです。

中世時代の修道士聖フランチェスコがこの世界のあらゆる被造物に価値を見出し祝福されていると謳ったのは人生の探求者として自然のことでした。

わたしもかつて修道士になろうかと思ったこともありますが、今はキャリアコンサルタントに。

みなさんと共に人生というキャリアを探求していきたいと思います。

松本利勝

国家資格キャリアコンサルタント

産業カウンセラー

元校長

エデンの東〜日大アメフト加害選手に思うこと〜

今、メディアで取り上げられています日大アメフトの反則行為。本日、加害選手が真実を語りました。この出来事の真相は今後明らかになるのかも知れません。ただ、彼へのメディアのインタビューを、わたしは見るに耐えませんでした。まだ二十歳の青年、彼は一体どれほどの苦悩の時間を過ごしてこの決心に至ったのでしょう。実に切ない気持ちです。

私たちの人生には、誰にも言えぬ過ち、取り返しのない罪がありませんか。わたしはあります。とても言えませんが。その時、わたしたちはどのように新しい道を見つけ歩んできたのでしょう。

古代オリエント世界で生まれた神話にも、父への反抗、父から愛される弟への嫉妬から弟を殺害する兄の罪と再生の物語が記されています。彼は自らの罪に絶望し、また世間の非難、蔑視、殺意に怯えます。

しかし、父は、彼を新しい道に誘います。新しい場「エデンの東」に。

わたしたちは、誰しもエデンの東に誘われているのでしょう。

松本 利勝

国家資格キャリアコンサルタント

産業カウンセラー

元校長

とことん時代から遅れよう

f:id:careersg:20180511001258j:plain一澤信三郎帆布」社長一澤信三郎氏

カンブリア宮殿」という番組を見ていましたら、面白い人が紹介されていました。

一澤信三郎氏です。京都の老舗「一澤信三郎」社長です。若いころは朝日新聞で働いていらしたそうですが、父の経営する帆布でカバンを作る老舗の跡取りとしてセカンドキャリアを歩んだ方です。やがて父が亡くなると経営権の相続で長男である兄と争い一度はすべてを失うことになりました。しかし、職人さんたちは全員彼の元に集まり、再出発をしたのだそうです。その時、全員で伝統を守りつつ、革新的な仕事もするようになって活路を拓いたと一澤さんは振り返ります。見えるものはすべて失ったかもしれませんが、人は残り、その人々が未来を築いたのです。その商売は一店舗のみ。支店も作らず、海外展開もしません。莫大な利益もありません。しかし定年もありません。子育てのある人は時短OKです。昔からの働き方です。時代から遅れている経営なのかも知れませんが、今やその製品は世界に認められ、海外からお客も殺到しています。顧客と直にお話をし、心を込めて生み出した製品を慈しみ、修理も受け付ける日本古来の商売の仕方です。職人さんもいつまでも生き生きしています。古くて新しい働き方。ここには働き方改革など無用です。昔からの形が働き方改革そのものです。

経営学の理論をわたしはあまり存じません。しかし、人を大切にし、育て、人と人とをつないでいく仕事の仕方がわたしは好きです。元の仕事である学校の教師もそうでしたし、今のキャリア・コンサルタントの仕事も同じです。

 

松本 利勝

国家資格キャリアコンサルタント

産業カウンセラー

元校長

 

 

朦朧なコミュニケーションの深さ

今、東京近代美術館で「横山大観展」が開催されています。近現代の日本画の巨匠である横山大観画伯の巨匠たる所以はその朦朧とした画風です。伝統的な日本画の手法に革新的な大観独自の余白を生かした画風は、観る者を幽玄、かつ曖昧な朦朧とした深淵な世界に誘います。わたしは、しばしその世界に圧倒されて我を忘れてしまいました。

 

大観の描法は敢えて対象を明確な線で描きません。水墨画的な曖昧朦朧なぼかし技法は、わたしたちに見えない何かがそこにある、と想像させるのです。その時、わたしたちは無限大に想像力が羽ばたきます。

 

さて、このような世界観は、わたしたちのコミュニケーションとどのように関係するのでしょうか。異文化コミュニケーション論では、しばしば、自分の意図はことばで明確に伝えないとわからない場合がある、だからことばではっきり伝達してください、と言われます。確かに相手が好きという感情を「わたしはあなたを愛してます」と伝えないと通じない人もいます。しかし、例えば相手との恋愛関係が成立している場合は相手の目を見て「わたしは、、、」だけで、その愛情が伝わる場合もあります。勿論、誤解になる場合もありますが、相手の想いを想像して、ことばではない曖昧朦朧な表現だからこそ伝わる愛情もあるのではないでしょうか。

 

西洋画にはない、大観の朦朧体画風が世界でも高く評価されるなら、このような朦朧体的コミュニケーションも、時に意味を持つかもしれない、そう思うのはわたしだけでしょうか。

 

ちなみにわたしは、妻に愛してる、なんて言った記憶はありません、、。

 

 

松本利勝

 

 

 

「明るく元気」は正しいのだろうか

四月も半ば、新しい職場、学校も新年度の行事が終わり、やや落ち着きをを取り戻した頃でしょうか。

学生さんや職場の新人さんたちは、慣れない環境で同学年、同僚と上手にコミュニケーションをとれているでしょうか。

わたしたち、キャリアコンサルタントは、就活支援で「笑顔を忘れずに、さぁ口角をあげましょう。コミュニケーション力を高めるには大切なことですよ」とお伝し、その練習もいたします。確かにわたしたちは笑顔の人に悪い印象はもちません。落ち込んでいるとき、笑顔の同僚からさりげなく、言葉をもらうと元気になりますね。会社の営業でも、販売業務でもそれは同じです。

学校でも「明るく元気なことが1番良いことだ」と言われます。しかし、実は、ここに落とし穴があります。

学校で誰かが、仲間外れにされる原因のひとつは、その誰かが、「暗い性格」だと決めつけられることです。例えば読書が好きで仲間と群れず、自立的な生徒が、しばしばその対象になります。真面目に勉強する生徒も、時にその対象になることもありますね。良い子とは明るく元気な子、という価値観です。

人間は本来、感情豊かな存在です。誰でも悩み、暗い表情にもなりますし、また太陽のように輝く笑顔を見せることもあります。光と闇。わたしたちの心にはその両方があり、それが人の自然の姿です。もちろん。経済的利益、生産効率を求める職場の場合は、仕事としてホスピタリティ溢れる笑顔が求められるのは不可避のビジネスマナーとも言えますが、人格を育てる学校、社会は、そうであってはなりません。

明るい笑顔の人生には、その背後に数え切れない暗い悲しみがあります。その事を知らずに、明るさばかりが、求められる世界はとても危険です。 さて、これから、全国で強く導入される道徳なる教科はいかがでしょうか。

新年度、自分の人生を、明るく、時に意味ある豊かな暗さを味わい深く耕せると良いな、と思います。

松本利勝

過去を振り向かない勇気

日本の美しい四季に幸せを感じます。故郷、福島の三春の滝桜、そろそろ満開でしょうか。

毎年、その優美な枝垂れ桜を見せてくれる滝桜ですが、一期一会の艶やかさです。昨年とも異なる桜色、枝ぶり、風に揺れる風情。来年も異なるでしょう。

滝桜は過去から進化を続けています。過去の我が栄光、苦悩にとらわれず。わたしたち人間は、いつまで過ぎ去った出来事に心を覆われてしまいがちですが、しかし、それでは未来は築けません。

古の物語を思い出しました。ある財産家の女性。

長く住んだ街が突然の火山爆発。あまりの急なことで身ひとつで逃げる途中、数多ある財産を惜しみ、ふと振り向いてしまったのです。その瞬間、彼女は石になってしまいました。

過去は変わりません。過去は現在の今の自分の糧になっていますが、過去にしがみついたり、あの時、こうすれは良かった、と思い悩んでも未来は作れません。

心が石になるのです。頑な石に。

四月。新しい季節を生き抜いていきましょう。かつて見たこともない感動の春が到来しています。

松本利勝

国家資格キャリアコンサルタント

産業カウンセラー