カウンセリング室から

 カウンセラーにはいろいろな相談が寄せられます。少しだけ、わたしの忘れがたい記憶から。ひとりひとり、慈しみの存在です。
                     (以下の相談者には記載を承諾していただいています。)
●  45歳、男性。
あの夏の日、わたしは母の隣に布団を敷いて、床につきました。福島に半年ぶりにお盆帰郷して。たぶん、母は知っていました。わたしが最後の別れに帰ったのだと。母は何も話しませんでした。わたしも子どもの頃のように、傍らに母の温もりを感じて、おばけのような木目の天井をじっと見上げていました。渇いた涙が頬を伝いました。そのとき、そっと母の布団の中に手を入れ、母の手を握りました。母もやさしくぎゅっと握り返してくれました。いつしか、そのままわたしは心地よく眠りの中に吸い込まれていきました。
 次の日、わたしはいつものように兄嫁の朝ごはんを食して、東京に戻りました。母とたわいもない話をして、いつものように「じゃ、また。もう帰るから」。
そしてその年の秋、母は静かにこの世界から旅立っていきました。末期がんであったこと気づかなかったふりをしたまま。
遠い記憶です。

● 小学5年生、男子
ぼくは今、小学5年生です。ぼくはクラス委員をしています。だからA君と一緒にいます。どうしてかというとA君は勉強もできないし、運動おんちだし、ちびでどんくさいからです。クラスのみんなは、A君をいじめはしませんが、話しかけもしません。でも無視もしていません。なんとなく、そんな感じです。ぼくは、A君がいつもひとりでいるのでかわいそうだから、できるだけ一緒にいるのです。でも、本当はA君と一緒にいるのは嫌なのです。A君は面白い話をするわけでもないからです。なのに、ぼくはA君といっしょにいるのです。ぼくは、そんな自分が嫌いです。

●19歳 男性
ぼくの家は貧しいから、仕送りだけでは部屋代も授業料も払えません。だから、死に物狂いで勉強して大学で良い成績をとりました。給付型の奨学金をもらうためでした。そして、ようやく奨学金をもらえたのですが、ぼくはそのお金を、ある日、ねずみ講にだまされてやくざのようなお兄さんにとられてしまいしました。そればかりか、親友までも悪い仲間に引き入れてしまい、結局ともだちを失いました。
苦しいので、ある日、勇気を出して、大学の白い立派なあごひげのチャブレンに相談したら、彼は、ただ数分黙って聴いて、そして、それきりでした。名前も聞かれませんでした。それ以来、偉そうな聖職者は信用していません。あの時、ぼくは、自分の愚かな失敗を誰かにゆるしてほしかった、ただそれだけだったのです。

 

国家資格キャリア・コンサルタント

産業カウンセラー

元中学校・高等学校校長

松本 利勝

お盆。家族の記憶

実家には父も母もいません。そこにある古いアルバムの家族の写真も、今はわたしと姉二人のほか、見る者もいないのです。わたしの産湯の写真、母の若かりしときの写真、父の軍服写真。わたしが幼児だった頃に小さな家の玄関の前で撮った家族6人の写真。やがて、今や還暦を超えたわたしたち子どもがこの世界から旅立ったとき、このアルバムの写真はどんな意味をもつのでしょう。一体誰がこの写真を見るのでしょうか。いつか、親戚の誰かがわたしの写真を見ながらその家族に「この人はお前たちの遠い親戚だった人たちだよ、確か学校の校長だったように思うけれどもくわしいことは知らない。ひょっとしたら仙台のどこかの学校の校長室に歴代の校長写真の一人として飾ってあるかもしれないね」

などと語るのでしょうか。

人は、その人生の終焉に己の存在意味をどのように確認するのでしょうか。自分はなぜ生まれたのか。その問いにどのように答えるのでしょうか。

しかし、ある賢人の不思議なことばが脳裏に浮かびます。

「人生をどう生きるかではない。人生がお前という人間をどう生きるか、それが問いの立て方だ」自分が主でなくてもすでに与えられているかけがえのない人生が自分という人間をどう輝かしていくのか、それが正しい

問いだというのです。

いつの日かどこかにわたしの古い家族のアルバムの写真が捨て去られようとも、わたしに人生を与える大いなる力ーそれはこの宇宙の神秘ともいえる次元かもしれないーはその記憶の襞にわたしという存在が刻印されるのではないかと思うのです。それこそが、わたしの存在の希望であり、生きたあかしになる。まさしく、この時代に精一杯生きたあかしとして。

お盆の時期、ふと思い出してしまいました。亡き父と母のぬくもり。

 

 

国家資格キャリアコンサルタント

産業カウンセラー

 

 

 

 

 

 

ゴジラは変幻自在のヒーロー

 

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先日、映画「キングオブモンスター」を観てきました。子どもの頃からゴジラ映画には魅了されています。初作品は、1954年です。わたしが生まれる1年前の作品です。長崎、広島の投下されてまだ間もない戦後の時代。わたしが見たのは1964年、9歳の頃。町の映画館で兄と観に行きました。原子爆弾によって突然変異して現れた怪獣ゴジラ。モノクロ映画でリアルかつ臨場感がありました。わたしがはじめて接した放射能の恐ろしさを描いた映画でもありました。ゴジラは、以来、私の中では、恐ろしくも畏怖すべき忘れがたき対象になっています。

さて、今回の作品は、アメリカ版ですが、懐かしい怪獣たちが登場してます。宿敵はあの三つ首のキングギドラです。ゴジラが敢然と戦い、モスラが援軍です。その登場シーンには何と!懐かしきザ・ピーナツが歌っていたモスラのテーマが流れます。ゴジラ映画は、時代により変幻自在。前作の日本版「シンゴジラ」ではゴジラに対して自衛隊がどのような指揮系統で出動し、攻撃するのかがリアルに描かれていました。自衛隊が協力したからだそうです。この点は、現役自衛官も感心していました。(あっという間に公開が終了してしまった映画「空母いぶき」と比較するとどうなのでしょうか)アメリカ映画ではありますが、日本人を意識しているのでしょうか。ゴジラにエモーショナルな日本人の感性が投影されているような気がします。ゴジラは誠、変幻自在なキャリアです。

人生は、いつどのように展開するのかわかりません。予期せぬ大地震、交通事故、病気、尊敬する師との出会い、畏怖すべき出来事などがめまぐるしく起きるのが人生です。ゴジラのような怪獣が出現するかもしれませんし、宇宙から宇宙人がやってくるかもしれません。映画「メン・イン・ブラック」のように。社会情勢も変転流転。現代は社会も人生も確たる未来予想図なども描けない時代ということです。しかし、どんな時代になってもゴジラのように変幻自在に、わたしたちも果敢に生き抜こうではありませんか。

 

 

 

 

クランボルツ先生の素敵なことば

f:id:careersg:20190523165102j:plain故クランボルツ先生

 

あのクランボルツ先生がお亡くなりになられました。先日、そのニュースを友人から知らされました。先生はスタンフォード大学の教育学・心理学の権威。そのキャリア形成理論「計画された偶発性理論」(ブランド・ハプンスタンス・セオリー)には、わたしが心の中で漠然と考えていたことが見事にことば化されていました。

誰でも、人生の中で、やりたい事、とりあえず挑戦したい事に向かって、取り組み始めるときがあります。職業選択もそうです。

しかし、人生には予期せぬ出来事、偶然の出来事が山ほどあるものです。誰かとの出会い、自然災害、事故等。いや、一瞬一瞬の出来事、空の雲の形さえ、わたしたちにとっては偶然の出来事です。そのとき、わたしたちは、この不可思議な偶然の出来事の前で、時にうろたえ、時に歓喜するのです。そして、その時にわたしたちが、その偶然をどう認知するか、ボジディプにとらえるならそのキャリア・人生は楽しく創造的なやりがいのあるものになりますし、ネガティブにとらえるなら、何をしてもその先には不安と絶望という不満足な人生になるのです。先生は、ポジティブに偶然を生かせと語ります。

わたしも30年以上の教員としてのキャリアを振り返りますと、すべてが偶然によるものでした。神戸の校内暴力が荒れ狂う高校に就職したこと、都内の女子高に移ったこと、仙台で校長になったこと、キャリアコンサルタントになったこと。。。すべてはたまたまでした。そしてその転機にはいつも誰かが新しい職場を紹介してくださいました。それらの偶然のすべてが今のわたしを形作ってきたのです。何とありがたいことでしょう。

人に裏切られ、また隣人も自分も裏切り、そして心が弱くなり、後悔の念に苦しむこともありましたが、しかし、その苦境の時でも支えてくださる人々がいたのも偶然の出来事でした。

 先生はこれから就職、再就職をしようとチャレンジする皆さんに、いや明日に向かって生き生きといきんとするすべての人々にエールをおくりたかった。人生は生きるに値する。決して希望を失ってはいけない。一度の失敗もまた、次のステップの糧になる。いやそれがあるからこそ、新しい可能性が見えてくる。人生はすばらしきかな。それが先生のわたしたちへのメッセージだったに違いありません。

奥多摩の山つつじ

 

f:id:careersg:20190509170601j:plain 青梅丘陵の斜面に咲く山つつじ

 青梅は山の街です。駅を降りて10分も歩けば、永山丘陵沿いのハイキングコース入り口です。今は森の緑が濃く野鳥のさえずりも爽やかに響き、森のあちこちに優しい朱色の山ツツジがひっそりと咲いています。

 山つつじの花びら一片のつつましい美しさ、その神秘はあのブラックホールのそれと同じです。すべてを吸い込み尽くした果てに何があるのか、宇宙物理学から最早哲学の世界。かつて、研究室の片隅で哲学青年と揶揄されながら、自己の存在の意味、宇宙をあらしめている根源とは何か、若き日の未だ尻の青い自分を思い出し、苦笑いです。

 しかし、改めて還暦越えのわたしが、この問いに向き合い、言えることは、畢竟このようなことなのです。

 自己存在の意味、自分はどこから来て、そしてなぜ生まれ、そしてどこに行くのか。

実はそれは固定的な答えなどない、ということです。仏教的な「縁起」のように、つまり、すべては関係性の中で変異流転しているので、決まった答えなどもないということです。ただ、一瞬一瞬の流れがあるだけです。わたしたちの命は、おそらく宇宙が絶えずどこかに向かって膨張しているように、どこか未知の世界に向けて生きんとする意思のようなものに導かれて生きているということでしょうか。

 今日は、少し難解なお話しになっているかもしれません。

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 わたしたちの日常は、山つつじ同様、筆舌に尽くせぬ喜びの奇跡に満ちていますが、

しかし一方、ある日突然に襲い来る悲しみ、絶望から逃げることもできません。この現実の中で、どう自分に、そして、他者にどんな希望の言葉を紡ぎだすか、まだ思索は終わりません。

わたしは宇宙人ではない

f:id:careersg:20190403153158j:plain 群馬県相馬原駐屯地にて(陸上自衛隊)

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生まれて初めて、ヘリコプターに搭乗いたしました。子どもの頃からの憧れのヘリ。先日、特別に招待いただき、このような素晴らしい体験をさせていだたきました。速度は300キロを超えるとか。群馬県伊香保温泉近くの相馬原基地。そこでは最新鋭の装甲車、ロケット、写真のような暗視鏡カメラ体験もあり、まるで遊園地状態でした。

ここで働く人々は、己の仕事に誇りを持っています。働くことの意味を考え、使命感を持っています。悩みがないわけではありません。しかし、その瞳に曇りはありません。

災害救助、海外派遣でも懸命に任務を果たします。それらの人々が、50代で定年退職しても、その未来に希望の光が見えるようにわたしたちキャリアコンサルタントがしっかりと御手伝いできるようにしたいと思いました。

今回は、忘れがたい社会科見学の様な自己研鑽のヘリ体験でした。お世話くださった自衛官のみなさまに心から感謝です。

 

差別化された豆大福

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f:id:careersg:20190314145803j:plain(食べてほしいと店頭に並ぶ豆大福たち)

子どもの頃、洋菓子など滅多に食べませんでした。昭和30年代の福島の田舎の子どもが洋菓子を食べるのはクリスマスのケーキと決まっていました。普段は、羊羹や大福が豪華なご馳走でした。それで、今でも、糖尿を案じる妻の目を盗んで密かに大福の名店を探索するのです。

今回は、泉岳寺近くの「松島屋」さん。午前10時にはすでに20名ほどが列をなしています。果たしてどのように美味なのでしょう。

愛想の良いお姉さん売り子から早速、購入。豆大福・・・それは、それは懐かしいあんこの味。甘すぎず、潰し過ぎず、色も薄いあずき色。なるほど、これは美味。最近の豆大福は、コンビニでもそこそこおいしいのですが、やはりこのお店独自のあんのおいしさでした。映画「あん」の樹木希林扮する元ハンセン病患者のおばあさんがこしらえた「あん」もきっとそのような味ではなかったか、と想像しています。まさに今まで、味わったことのない他のお店にはない差別化された豆大福。並んでも買いたい至福の手作り大福でした。

わたしたちの人生も、他の誰にも負けない、自分だけのあの「あん」のような忘れがたい美味なる味を出したいものです。そうすれば、きっと列をなして求めにいらっしゃる人々が現れるにちがいありません。

 

 

松本 利勝

国家資格キャリアコンサルタント

産業カウンセラー

元中学・高等学校校長