社会貢献の様々な形~ある高校生の言葉に寄せて~

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2017年8月4日朝日新聞 「若い世代」投稿記事 木枝 萌

萌さんは、友人の娘で、幼いころから聡明で明るく、屈託のない笑顔の子です。春先に庭の子供たちのための畑で思いがけなく冬眠しているカエルを見つけて目を丸くして驚いていたのを今でも覚えています。彼女は成長して、今高校生になっています。

今月の4日、彼女は朝日新聞に自分の意見を投稿しました。1年前の相模原の障がい者殺人事件に寄せたものです。彼女の叔父は障がい者です。そして彼女はその叔父との暮らしの体験から、障がい者でも、大切な社会貢献ができていると語ります。人間存在の崇高なる肯定です。彼女は、あの事件で愛する叔父の命の価値が否定されたように感じられたのでしょうか。その言葉には彼女の愛に溢れた社会への憤りをわたしは感じました。その意見は決して表層的な感傷やヒューマニズムから作られたものではありません。わたしは彼女の家族とは親しくしているのでそれが良くわかるのです。

8月5日の今日、広島や長崎の原爆、第五福竜丸、沖縄、東京大空襲などの戦争に関わる出来事に思いを馳せます。かつてそこに生徒を引率してともに学んだ思い出と共に。生徒たちに熱く体験を語ってくれた人々の多くが、もう故人となりましたが、ふと思い出されて、胸が熱くなるのです。あらゆる人々の命の尊さ、それは決して理屈で理解するものではありません。

人は、慈しまれ育てられてはじめて、それを理解できるからです。犯罪の根底、戦争の根底にはその極めて素朴な慈しまれた感情の欠如がある、そのように思われてなりません。わたしたちの社会の現実は、どんな状況でも互いに慈しみあえるほど楽観的なものではありませんが、誰かひとりの言葉から未来への希望の光を見つけることができる、と思います。もちろん、萌さんの投稿からも。

 

松本 利勝

元校長。キャリアコンサルタント産業カウンセラー。株式会社キャリア・ストラテジー 講師