時代を超えて在るもの

古今東西、人類が誕生して以来、人は死後の世界に思いを馳せてきました。古代文明墓所遺跡はそれを如実に物語っています。古代エジプトも然り、日本の弥生縄文期もその他の文明も然りです。先日、國學院大学博物館を訪れ、改めてのその感を強くいたしました。

人は現世を生き抜いて、それで全てが終わるとは考えることができなかったのです。自分が死んでも、魂は永遠であると。哲学や宗教が生まれた理由です。唯物論者は、究極的には物質に他ならない人間存在は、寿命が尽きれば、全ては物質に帰ると考えます。しかしその前提はアンチ来世観念ですし、魂が存在しない科学的根拠もない以上、それもまた、宗教的な観念の範疇に留まります。

ペシミズムにもニヒリズムにもならず宗教に救いも求めず、人は如何にして、その生に輝きを与えるのでしょうか。ここに、文学や、神話のテーマもありますが、それは同時に、キャリア教育の根源的な問い掛けでもあるように思います。

(毎日の日常生活では、ゴミの分別すら面倒だと思うわたしですが、何故か、このような七

面倒臭いことを考えてしまいます。) 時代を超えて在るものは、生きることの意味を問う心そのものではないでしょうか。

松本利勝

株式会社キャリアストラテジー講師

国家資格キャリアコンサルタント

産業カウンセラー

元校長