実はわからない、なるようにしかならない世界

f:id:careersg:20170918224114j:plain

(恵比寿駅西口のアイス屋さんの団子アイス)

 

暑い日は、アイスが恋しくなります。恵比寿を散策していると、あたたかい草団子とアイスのゴールデンペアがわたしを魅了していました。なんとなく懐かしくもあり、モダンでもある。モダンー。この言葉も今や、古典的ですが。冷たいものと暖かいものの組み合わせは口の中で不思議なハーモニーを奏でますが、それとは異なりこの世界はハーモニーもなく、けれども面白くも不思議で、かつ不条理で、しかし希望に満ちているように思うのです。

人は、しかしこのように説明がつかないことを経験すると、不安になり、そこに体系的合理的な説明を求める傾向があります。それは時にナチスのような全体主義の世界観に人々を誘い込むようになることもあります。安易に不安を解消するようなものに魂を奪われないように注意深くあらねばなりません。

 

わたしたちの世界は、物質的な意味においては、科学的実証的研究を積み重ねることで、日々進化し続けていくのですから、この宇宙の構造、仕組みそのものは分子、原子、素粒子等のレベルで説明されていくでしょう。世界の因果関係の解明です、

ただ、心の問題は、厄介です。心だけは、脳の働きと割り切れないのです。確かに、脳の働きが心なのかもしれません。しかし、たとえそれが真実でもわたしたちの心の苦悩、不安は解決できないのです。学校や会社に行けなくなった人を類型化することはできても、個々の問題には必ずしも該当しないからです。

この世界は必ずしも原因と結果が明確であるわけではありません。今、このように苦しいのは、きっと原因があるだろう、と合理的に問いを立てますが、今のこの自分の現実の理由を明確に理解すること自体無理があります。こころの構造はそう単純なものではありません。もちろん、だからといって、理性を捨て、安易なカルト的宗教にはいりこむなどは愚の骨頂です。

では自分が不安になったとき、悩んでしまったとき、解決が見えないとき、どう対処するか。心療内科では薬物療法、○○療法やカウンセリングなどで一定の効果的な対処法を示します。それは医師の力量が確かであれば解決に向かうでしょう。が、それでも対応できない次元の深い、深い心の問題の場合があります。その場合はやはりこの世界は「わからないもの」と認めることから解決を求めるのが必要なのではないかと思います。この世界にはわからないことがあるのは当たり前であるという認識を持つことです。わからないのだから、そのわからなさに身をゆだねてしまう、ということです。身をゆだねるという主体性が求められますが、その覚悟があるとふっと力が抜ける。すると、今までのなやみがアホみたいに見える。なんとかなる。なるようになる。だからもう考え過ぎるのはやめましょう。

その覚悟は、お団子アイスでも食べるとできるかもしれません。

 

松本 利勝