高校生の講師への足蹴り事件について

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アケビの季節です。東京では大手のデパートなどでアケビが売られているのですね。驚きです。アケビが売られているとは。あれは、山で取りに行って好きなだけ食するものだったはず。ひょっとして都会の人は、アケビの味を知らないのではないか、そう思い知人に尋ねてみました。すると、ありません、と。紫色に皮が色づくと、カパっと、開いて種が詰まっている柔らかな不思議な感触の乳白色の実が美味しく、それを一口でほおばるのが、福島の田舎で育った子供の私の日常でしたが。

調べてみますと、皮も炒めたりすると美味なるものと。栄養もビタミンなど豊富です。今年の秋は是非、アケビ料理を。

ところで、先日、博多のある高校で生徒が若い常勤講師の先生に暴行している映像がマスコミに流されていました。高校生は県警に逮捕されたとのことでした。報道では、いつものように校長がコメントを出し限度を超えた暴力なので被害届を出したのだと。ネットではすでに実名が出され、論評もされているという状況です。講師の先生は新任で事件が拡散して精神的ショックを受けているとのことですが離職したり精神疾患にならないか心配です。毎年、その教育現場で追い込まれていく教師が異常に増え続けているからです。(統計では2014年度5045名。1990年1017名)統計は最低限の数ですから、実数はその何倍かと思われます。

わたしも初めて新任で赴任した高校が偏差値30から40程度で、校内暴力が日常的にありました。当時、私は生徒からののしられたり、暴言を言われたり、笑われたりしましたが暴力だけは受けませんでした。また暴言が飛び交っても、周りの生徒があざ笑うような陰湿なことはありませんでした。あの時代の高校生は筋を通し、反抗する理由がわかりやすかったし、単純であったように思います。モンスターペアレントもいませんでした。ただ、先輩教師からは、「生徒を抑えられないのは力がないからだ」と言われ、大変落ち込んだことを覚えています。しかし私の場合は相談できる先生や仲間がいましたので、救われました。カウンセラーの先生からもサポートを受けることができる恵まれた環境にありました。

この問題に対しては、教育行政、生徒個人とその家庭環境の問題、教師の力量の問題、学校の教師と生徒をサポートする仕組みの視点など複眼的な視点から分析をしなければなりません。しかし、この学校の教師の立場からすると、絶望的な状況であることは間違いありません。

体育系の強面の教師ならば、初めからその強圧的な雰囲気で静かな授業が成立するかもしれませんが、教育的な中身はありません。ただ、怖いから我慢して静かにしているだけですから。わたしのように見るからに喧嘩が弱そうな教師はも甘く見られ、生徒への注意も無視されておしまいです。そして、生徒からバカにされ注意をすればするほど、クラスに笑いが充満します。良心の痛む生徒も、ただ我慢しているだけです。

さて、この新任の先生は、教頭先生や生活指導の先生に相談していたのでしょうか。相談できるカウンセラーはいたのでしょうか。毎日、家に帰り、どのような思いで通勤していたのでしょうか。胸が痛みます。

偏差値が高く、生徒が自分から学ぶような高校ではこのような問題は少ないと思います。勿論、どの学校にも問題はいろいろありますけれども、授業がまったく成立しないほど荒れることは稀です。ですから、そのような学校の先生たちには、荒れた学校の先生たちの苦しみは理解し難いと思います。同じ「教育現場」といっても問題意識の在り様は全く異なるのが実情なのです。これはわたしの経験値です。(今、世間に飛び交うアクティブラニング、人格教育、ダイバーシティ、グローバル、国際交流、平和教育等の言葉も日々、授業が成立し難い教室で悩み続ける先生たちには空しい響きとなります。いわゆる底辺校の先生たちの苦しみはいわゆるエリート高校を卒業している先生、エリート高校の先生には容易に理解し難いでしょうから先生たちの研修会などでその痛みを共有することも至難の業なのです。)

 

わたしの願いは、学校にも頼れない、誰にも相談できず、かつひとり密かに悩み苦しむ先生たちの叫びに耳を傾け、一緒に活路を見つけたい、ということ。大きな助けにはならないでしょうが、若き日に荒れる生徒たちと格闘した者として何か力になれないかと。

このプログもその扉の一つです。

 

元 校長

松本 利勝