朦朧なコミュニケーションの深さ

今、東京近代美術館で「横山大観展」が開催されています。近現代の日本画の巨匠である横山大観画伯の巨匠たる所以はその朦朧とした画風です。伝統的な日本画の手法に革新的な大観独自の余白を生かした画風は、観る者を幽玄、かつ曖昧な朦朧とした深淵な世界に誘います。わたしは、しばしその世界に圧倒されて我を忘れてしまいました。

 

大観の描法は敢えて対象を明確な線で描きません。水墨画的な曖昧朦朧なぼかし技法は、わたしたちに見えない何かがそこにある、と想像させるのです。その時、わたしたちは無限大に想像力が羽ばたきます。

 

さて、このような世界観は、わたしたちのコミュニケーションとどのように関係するのでしょうか。異文化コミュニケーション論では、しばしば、自分の意図はことばで明確に伝えないとわからない場合がある、だからことばではっきり伝達してください、と言われます。確かに相手が好きという感情を「わたしはあなたを愛してます」と伝えないと通じない人もいます。しかし、例えば相手との恋愛関係が成立している場合は相手の目を見て「わたしは、、、」だけで、その愛情が伝わる場合もあります。勿論、誤解になる場合もありますが、相手の想いを想像して、ことばではない曖昧朦朧な表現だからこそ伝わる愛情もあるのではないでしょうか。

 

西洋画にはない、大観の朦朧体画風が世界でも高く評価されるなら、このような朦朧体的コミュニケーションも、時に意味を持つかもしれない、そう思うのはわたしだけでしょうか。

 

ちなみにわたしは、妻に愛してる、なんて言った記憶はありません、、。

 

 

松本利勝