命のキャリア

わたしたちがご飯を食べるとき、「いただきます」といいます。子供のころに、親から教えられてきた習慣です。そして大人になって、あらためてその理由を調べると、どうやら多くの日本人は、動植物の命を奪って、その「いのちをいただく」のだから、「感謝のしるし」としてその言葉があるのだと考えているようなのです。その理屈にわたしは不思議と納得してしまうのですが、実はこれは日本人独特の感覚らしいのです。

昔、手塚治虫氏の漫画「ブッダ」で、人間を救うために自らを焚火の中に投じてしまううさぎの話がありました。人間を生かすために身をささげたこのうさぎの中に仏の慈悲を見る、といったお話でしたが、このような思想は、欧米人には理解しがたいようなのです。

欧米人にとっては動物にとって大切なことは、そのいのちを奪うかどうかではなく、いかに「痛み」を減じていくか、だというのです。

わたしの中には、日本的感覚がありますから、お命いただく感謝の心もありますし、その霊を鎮める感覚もわかります。あらゆる命あるものと、人間のいのちも霊があり、その意味では同等であるという感覚です。アニミズムに通じる感覚かもしれません。しかし、これは文化史的にみれば、日本という特殊な感覚であることは、異文化共生を真剣に考えるならば留意すべきことです。

 

カウンセラーの理論の原点は、いうまでもなくかのロジャーズ先生の「来談者中心」の思想ですが、これは人間の尊厳を前提にしているものです。しかし、その尊厳が何に根拠を持つのかについては日本では議論されることがありません。その理論の「自己一致、受容、共感」は実は、欧米人とは異なっているであろうことは、頭の片隅に入れておきたいものです。

 

カウンセリング現場での対応も、この日本という思想的土壌を踏まえたものでなければ、時に対応に誤りが生じることになるかもしれません。

 

松本 利勝

元中高校長 教育カウンセラー

国家資格キャリアコンサルタント

産業カウンセラー