天使と出会ったときのこと

昔、天使に出会ったことがありました。群馬県高崎市、といっても周りは山ばかりの小高い丘にある「新生会老人ホーム」で。わたしは毎年、夏に有志の中高生を引率してそこで「人間の学校」と称して奉仕プログラムを行っていました。生徒たちが、ホームで暮らす人々との出会いから人間について、自分について学ぶのです。引率する教師たちも一緒に学びます。

 

ある時、そこで天使に出会ってしまいました。その天使はシスター(修道女)の衣装を身にまとっていました。確かに、それはまさに本物のシスターでした。高齢ではありましたが、その輝く笑顔はまさに天使そのもの。彼女のことば。「あなた、よくいらっしゃいましたわね。さぞお疲れだったでしょう。どちらからいらしたのですか。」わたしは、そのあまりの美しい立ち居振る舞いにどこか神聖な思いを抱きました。

 

翌日、その天使様にまたお会いしました。そこにはホームのスタッフが数人常駐しています。キリスト教の精神に基づいている施設なので、シスターがいらしても不思議ではありません。チャペル(施設付属の礼拝堂)もありますし。シスターが私の姿をみつけると、また声をかけてくださいました。

 

「あなた、よくいらっしゃいましたわね。さぞ、お疲れになったでしょう。どちから・・・・」もちろん彼女は輝くばかりの笑顔。その翌日も、同じ言葉でした。その時、天使様を見守るスタッフが私に向かって、微笑みました。そうして悟りました。

 

ひとりのシスターが認知症になり、この施設の利用者となり、やがて我々訪問者を出迎えるようになったのです。かつて、救いを求めて修道院を訪ねて来られた人々とともに祈られたように。

 

認知症になると、たとえその人がどのように高潔な方であっても、時に醜悪な言動をさらすこともあります。しかし、このシスターは、そうではありませんでした。

 

「エンジェルホーム」それがこの施設の名前です。天使が舞い降りる素晴らしい場所です。

 

 

松本利勝

 国家資格キャリアコンサルタント

 産業カウンセラー

 教育カウンセラー

カウンセラーは現場で学ぶ

最近、あるお役所の20代の新人さんのカウンセリングを担当する機会に恵まれています。

これは人事部の企画なので特別に悩みがあって、訪ねてくるわけではありません。ただ、話をしていると実はこれからの自分の働き方について不安がある自分に気が付いたり、ありたい自分の姿を確認したりする意味ある時間になっているようです。

 

今回は体験カウンセリングということなので、相手の方から話しかけてくることはありません。信頼関係を作ることは当然のプロセスですが、そのためにはカウンセラーの適切な自己開示、相手の気持ちに寄り添いながら語り掛ける開かれた質問が必要でした。カウンセラーは何より傾聴することが大切ですが、傾聴とはただ相手の言葉を受け取るだけのことだけではなく、相手が自分自身の今の在り様を客観的にみつめることができるような支援という意味合いもあります。コンサルティングの技法にも通じる要素です。

 

カウンセリングもコンサルティングも、おそらくコーチングも現場で経験を積むことでそのスキル、しかも表面的な技術という意味合いを超えた関わり方を進化させるのでしょう。

わたしは、恵まれてそのような機会をいただける環境におりますけれど、資格を取得したばかりの方は、どのようにして「現場」を持てるのか、悩むことが少なくありません。資格はとったけれど・・・この資格をどう生かせばよいのだろうと途方に暮れる。

 

しばしば、資格を取ると上級資格に挑戦する方がおられます。それは勉強を継続するうえでの大きなモチベーションになりますでしょう。けれども、それも現場を持ちながらでなければ、たとえ立派な上級資格をとり「指導者レベル」と呼ばれても現場を知らない方は指導はできません。水泳理論で博士になっても、水に入ったことのない方は、水泳の指導者にはなれないのと同じです。特にカウンセリンクやコンサルティングはその人の人生経験の豊かさ、内省の深さも大きく関係するからです。

 

さて、今、コンサルティングやカウンセリングを勉強されていらっしゃる皆さん、これからどのような現場で自己研鑽を積まれますか?

 

#カウンセリング #自己研鑽 #キャリアコンサルティング #資格を生かす

 

松本利勝

 元中高校長 教育カウンセラー(不登校問題などでお悩みの方、お話を伺います)

  国家資格キャリアコンサルタント 産業カウンセラー 防災士

森のカウンセリング

高校教員時代に軽井沢でキャンプの引率をしていた。軽井沢のすばらしい自然の中で自分をみつめるという体験型ワークショップ。夜明け前、希望者のみがキャンプ場の林に囲まれたファイアー・スペースに集まり、夜明け前の静けさと夜明けの森の色と目覚める音を聴くというプログラムは人気があった。草むらに寝転んで暁の空を観察する。紫ともオレンジとも言えない神秘的な色彩の変化に驚く。暁の森は沈黙の音。夜明けと同時に野鳥たちが少しずつ囀り始める。チュン・・・ピピ・・チュンチュン・ピピピピ。ざわざわ。生徒たちはどんな音が聞こえるか、数えてみる。10も聞こえる生徒は感性豊か。ミソサザエ、風が樹木をかすめる音、虫が目覚めて飛び立つ音。森の「サウンドマップ」づくりにも挑戦した。そして森にはいろいろな命の音があふれていることに感動する。

 

またあるときは、聴診器をもって樹木の声を聴く。またある時は、自然の中にある色を集めてみる。野の花、雑草、虫の羽・・・すると同じ色はこの世界には存在しないことに気づく。葉っぱ一枚一枚、みんな異なった色。いろいろに命の色。

 

カウンセリングも同じであると思う。ひとりひとりの声に耳を傾ける。心を空っぽにして、ただひたすらその人の心の声を聴く。それを「共感」と呼ぶ。それは間違った解釈だろうか。

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めんどくさい人

なんだか、めんどくさい。もうどうでもいい。何もしたくない。誰とも会いたくない。電話にも出たくない。人間関係はめんどくさい。友だちも家族もめんどくさい。あぁ、めんどくさい。会社もいきたくない。挨拶も笑顔もめんどくさい。もう歩くのもめんどくさい。パソコンもめんどくさい。スマホも見たくない。誰ともつながりたくない。

もうご飯もええわ。何食べるかとか考えるのもめんどくさい。洗濯もめんどくさい。アイロンもめんどくさい。白髪染めもめんどくさい。もうどうでもいい。どうでもいい。生きるのもめんどくさい。めんどくさい。めんどくさい。あぁめんどくさい。どうでもいい。病気するのもめんどくさい。死ぬのもめんどくさい。もういろいろめんどくさがるのもめんどくさい。

 

だから明日も会社にいって仕事しょう。笑顔と挨拶。人々と一緒に生きる。共にささえあいながら。それが一番、めんどくさくない楽しい暮らし。

わが子が学校に行けなくなった・・・

「うちの子が連休明けから・・・学校に行けないんです・・」そのようなご両親の相談が珍しくありません。小学校では約5万3千人、中学校で13万人弱の子どもたちが不登校であると報告されています。

 某政府機関の相談室でも例外ではありません。「実は仕事のことでなく・・・」と。あるお父さん、「学校にはスクールカウンセラーが配置されてはいますが、予約しても1か月後になるし、専属のカウンセラーはいなくて巡回しているだけなのでとても継続的で親身なカウンセリングは期待できないのです」と。確かに、公立小学校にカウンセラーが毎日、詰めていることはそうありません。かつて私が勤務していた私立の学校は、毎日、複数のカウンセラーがいつでも、児童・生徒の相談を受けることができる体制でした。予算も確保していました。それが当たり前だと思っていましたが、日本全体でみれば、公立私立ともにそのような手厚い体制があるのは稀であることがわかります。良くて週に数度、非常勤で採用されているだけでしょうか。またスクールカウンセラーが雇用される場合は「臨床心理士」か「公認心理師」の資格を持つ者が採用されるケースが多いように思われますが、現場ではカウンセラーは担任、保護者、教頭等の現場の先生方と連携しなければ成り立ちません。学校という教育現場の組織の特色、異動などの人事体制、カリキュラム、先生方の勤務体制などにも一定の理解が必要ですがそれが難しいのです。心理職としての専門知識はあっても、そこまでの力量を持つ方は稀でありましょう。心理職としてどのような現場でどのようには働きたいのか、その人の意識が問われるところです。

 かつてわたしは渋谷区の某有名私立中学で不登校生徒のお世話をしていたことがあります。教員としての立場でしたが、建学精神を教える立場、いわゆる心の教育担当者でもありましたから、不登校の生徒をわたしの研究室で預かることにしたのです。隣接するカウンセラー室と保健室との連携作業です。学校には何とか来ることはあるけれど、教室には入れない子二人。はじめは心を閉ざしていましたが、次第にお弁当を一緒に食べるなどして、柔和な顔が戻り、一年後、クラスに戻っていきました。一緒にご飯を食べること、子供が興味を持つことを一緒に作業すること。割りばしで「巨大なノアの箱舟制作」それを文化祭で展示する。それがわたしの対応でした。学校に生徒の居場所を作っていたということです。現場ではカウンセラーの心理学的見識と先生たちの経験、共にその経験を分かち合い協力し合う、ということが必要だということを実感した経験でした。

 コロナ禍ではさらに不登校の生徒が増える可能性があります。私たちにできることは何でしょうか。

代々木駅ホームで声をかけてきたのは・・・

先日、高輪の事務所から市ヶ谷の某機関のカウンセリングルームに。市ヶ谷までは代々木駅で総武線に乗り換えます。目指すホームに階段を上がると、目の前に電車。発車のアナウンスが聞こえ、「ん、無理かな」と思いつつ、少し小走りに。が、このままでは「挟まれる」と判断、踏みとどまりました。「次の電車でもいい。もう若くはないし、無理はいけない」と思い、近くのベンチに。するとどこからか「わたしもあきらめましたのよ」と。見ると隣に座っている妙齢のご婦人。凛とした上品な。ご自身がおっしゃるには80歳だとか。四谷の歯医者に通っているのだとか。突然の声掛けにほんの少し、驚きましたが、四谷までお話を伺いました。ご主人を亡くされて6年目になる。一人暮らしだけれども友人たちが訪ねてくれるので寂しくはないと。ただただ、聴かせていだたきました。四谷駅までのひと時の静かな会話。ご縁がありましたらまたお話いたしましょうと、ご婦人。おしゃれな靴、スタイリッシュなパンツ。キラキラ輝く笑顔。80歳とは思えぬ輝き。きっと、これまでも味わい深い素敵な人生を送ってこられたのでしょう。

見知らぬご婦人に初めて声をかけられましたが、一期一会。人間は面白いものだと

感じさせられた貴重な時間でした。

森川すいめい、というカウンセリング

 森川すいめい。その名を最近まで知りませんでした。1973年生まれの精神科医の先生です。たまたまNHKの「心の時代」の取材に応じていました。彼は20年以上、路上生活者支援に取り組んでいます。心打たれたのは、その支援活動の背後にある彼自身の壮絶な家族との葛藤。父親から母親と自分へのDV。母親からの拒絶体験。「うつ」の発症。決して順調に医師の道を歩んでこられたわけではありません。苦悩して葛藤して、絶望して、その果てにようやくみつけた自分の弱さ。それを受容し、それを強みとする「生き方の軸」の獲得。映像という媒介を通してでも、その壮絶なこれまでの道程が伝わってきました。

 

人は自分の弱さを認めたくもないし、隠していきたいものです。しかし、ある時、それは人生を支えるにはあまりにも薄っぺらであることを自覚します。人は自分自身に噓をついては生きていけないのです。もちろん、誰にも言えない嘘はありますし、それを告白することで誰かを傷つけるのであれば、それは口外することはしない方が良いでしょう。ただ、それを自分自身が直視し認め、そのありのままの自分の醜悪さ、時には正当化したい欲望という弱さをも肯定し受容することが必要です。誰かに告白して許しを得なければなりません。

そのことを森川さんは「I forgive me」と表現しました。彼はそれを旅で出会った人々から学んだと。人が一歩、前に進もうとするとき、そこに「ゆるされている、ゆるしている自分がいる」という強い思いが必要なのでしょう。

 

森川さんは、わたしよりもずいぶん若いのですが、人に向き合う力、その命の痛みを知る深さには学ぶことしきりです。