青梅丘陵の斜面に咲く山つつじ
青梅は山の街です。駅を降りて10分も歩けば、永山丘陵沿いのハイキングコース入り口です。今は森の緑が濃く野鳥のさえずりも爽やかに響き、森のあちこちに優しい朱色の山ツツジがひっそりと咲いています。
山つつじの花びら一片のつつましい美しさ、その神秘はあのブラックホールのそれと同じです。すべてを吸い込み尽くした果てに何があるのか、宇宙物理学から最早哲学の世界。かつて、研究室の片隅で哲学青年と揶揄されながら、自己の存在の意味、宇宙をあらしめている根源とは何か、若き日の未だ尻の青い自分を思い出し、苦笑いです。
しかし、改めて還暦越えのわたしが、この問いに向き合い、言えることは、畢竟このようなことなのです。
自己存在の意味、自分はどこから来て、そしてなぜ生まれ、そしてどこに行くのか。
実はそれは固定的な答えなどない、ということです。仏教的な「縁起」のように、つまり、すべては関係性の中で変異流転しているので、決まった答えなどもないということです。ただ、一瞬一瞬の流れがあるだけです。わたしたちの命は、おそらく宇宙が絶えずどこかに向かって膨張しているように、どこか未知の世界に向けて生きんとする意思のようなものに導かれて生きているということでしょうか。
今日は、少し難解なお話しになっているかもしれません。
わたしたちの日常は、山つつじ同様、筆舌に尽くせぬ喜びの奇跡に満ちていますが、
しかし一方、ある日突然に襲い来る悲しみ、絶望から逃げることもできません。この現実の中で、どう自分に、そして、他者にどんな希望の言葉を紡ぎだすか、まだ思索は終わりません。