仕事をしない人間だった時

人との間と書いて「人間」。確かに私たちは人間関係がなければ、生物的に生きていても人としては生きていないのです。それは昔からよく聞いてきたことです。しかし還暦を超えて、強く実感するようになりました。
 教員生活を終えて、還暦になり、一旦青梅の森の近くの自宅にこもりました。かつての知人との旧交を温めつつも、それは愉しくも、どこか虚しい隠居生活のようなものでした。
 不条理な苦しい仕事に追われ、行きつく暇もない日々の職務に埋没するのも悲劇ですが、さりとて、一旦仕事を辞めてしまえば、それもまた行き場のない煩悶の日々が続くのです。好きな読書も、旅も、山歩きも、その空虚感は満たされません。もちろん、それは健康があればこそで、生かされているその事実には感謝ではあります。
 わが身の勝手さに呆れもしますが、健康がある限りにおいて、社会と繋がることなくして生きている実感を得ることは至難の業です。人と係ることは面倒ですが、人と関わらずして、生きている歓びもないのも事実。生きるということは、なかなか面倒です。
 人生は世代によって、それぞれの発達課題があります。子どもには子どもの役割、青年期にも、中高年期、老年期にも。人は、その生命を閉じるまで、成長することが可能だとされています。自分の発達課題は何か、さらに成長するためにはそのことを確認しなければなりません。
 たとえ老人と呼ばれても、悟りを開いた孤高の仙人のような生活は、凡人のわたしにはできません。ささやかでも、身の丈に合った世俗の世界で人との出会い、係りを愉しみたいと思うのです。願わくば、人様のお役に立てるようなことがあれば、それは幸いなことです。

 

松本 利勝

国家資格キャリアコンサルタント

産業カウンセラー、教育カウンセラー

元中高校長