正月のドラマ 相棒

お正月にドラマ「相棒」を観ました。

愛する息子を冷酷な、罪意識の片鱗すら持たぬ者に無残な死に至らしめられた父親の物語。主人公の右京は、正しい答えを語る。自分は遠くで助けを求めるあなたの息子と目の前に倒れる者のどちらを救うべきか、を問われたが、極限状況で命の選別を迫られるとき、トリアージの原則に従う、と。つまり、助かる可能性のある在る者に優先順位があるということ。しかし、父親は、その判断の正しさを認識はするが、心は、認めない、と胸を掻き毟りながら叫ぶ。

自分が属する共同体の一般的倫理的正しさの基準の妥当性はどこにあるのでしょう。このドラマの面白さは、ここに在るように感じます。

かつて学校の教師であったとき、生徒らに道徳は教えないと決めていました。金八先生的善意は現場では通用しませんし、学校が決めた決まりも絶対ではありませんから。立場は校則、常識ーどんな命もかけがえのない命であり、愛される価値ある存在であるーなども教えるべきものではありませんでした。ただ思春期の生徒たちに伝えられていたかは、わかりませんが。 もちろん、確かに人の価値は平等であるべきです。

教師が語るべきものは、道徳でも倫理的な教訓でもありません。ギリシャや日本の古代神話、聖書などの古典にはその人間の残酷な真実、愛することにおいて真実と常識や道徳は多くの場合、相反することが描かれています。伝えるべきことは、まさにその事実でした。そのようなことを思い出しています。

ドラマ「相棒」、しばらく目が離せません。

松本利勝

国家資格キャリアコンサルタント

産業カウンセラー

教育カウンセラー

元中高校長