ヒロシマ、ナガサキ、オキナワの語り部の人々から

かつて、中学と高等学校で、「平和教育」を担当していました。修学旅行も中学は「東北」から「長崎へ」。高等学校は「京都・奈良」から「沖縄」へ変えました。もちろん、東北も京都・奈良も素晴らしい学びの地。ですが、今の時代の教育には「平和」とは何か、それを考える機会をつくることは学校の使命であると確信していたのです。

 

わたしのこども時代、父親が戦争で死線を越えて帰ってきた体験談を聴いていたのです。叔父たちもほとんどが戦死している。小学生の頃はベトナム戦争があり、その後も世界にはたくさんの紛争・戦争がありました。そして今も。

 

ふと、今、思い出します。かつて生徒たちに戦争体験を語り続けてくださったひとりひとりの優しい声、震える声、怒り、ゆるし、祈り。それらの人々はほとんど亡くなりました。わたしの父も母も。それらの人々を生徒たちはどのように思い出しているのでしょう。人生ではどのように意味があるのでしょう。

 

わたしたち教員が関わった生徒たち、今はもう50代にまでなっているでしょう。。。君たちに語り部の人々が残したものは一体、何であったのでしょう。