心の奥深くにあること

カウンセリングとは何でしょう。たくさんの人が理論的な考察を重ねています。どれも正解でしょう。その相手が人として生きていけるなら。わたしもはじめはわかりませんでした。36年間の教員生活でたくさんの生徒、保護者、教職員のみなさんの相談に乗りましたがそんなに簡単には説明ができません。心理学も哲学も勉強しておりましたが、生身の人間の心の問題に寄り添うのは簡単なことではありません。カウンセラーやキャリアコンサルタントの資格を取り、いくつかの場でカウンセリングをさせていただいていますが、その難しさは変わりません。

 

人の人生は生まれてから、人には言えない秘密の事柄、それを口にしてしまえばそこから傷口が開いて血が流れることもあります。ですから、人はカウンセラーにも口を閉ざす。口にするのはうわべだけ。そんなこともあります。当然です、人間ですから。

わたしはカウンセラーとして誰の心も分析などできないし、悩みを解決してあげることなどできません。ただ、できること、そばにいることだけです。そして、その人の語ること、その人が語りたくないことにそっと耳を傾けること。

 

もし、奇跡が起きて、その人が少しだけ希望が見えるなら、それはまさに奇跡です。そんな奇跡が起きてくれることを祈りながら、今日も、今もここにいます。小さなカウンセリングルーム。

大学のカウンセラーの目

大学の相談室を担当して数年になります。人には言えない悩み、モヤモヤを受け止めること、また時に就職支援、学習支援もいたします。また教員、職員の個人的な思いも。

わたしたちカウンセラーはそっと寄り添います。発達障害の人、LGBTQ+の人、またそのような人を家族に持つ人、いろいろな人生と出会います。

わたしたちは、カウンセラーであり、時にキャリアコンサルタントでもあります。そのふたつの資格、何より私たちの人生そのものから得た人への信頼。人間そのものの尊厳を胸に向き合います。安易な助言はしませんが、必要なら情報提供、スキルの指導もいたします。ただその人の未来に希望がもたらされるなら。それが私たちカウンセラーの願いです。

大学のカウンセラーは心理カウンセラーだけではなく、その悩みが就職に絡むことが少なくないので、キャリアコンサルタントの知恵、経験も不可欠です。そして、カウンセラー自らの人生に対する深い受容も。日々、感謝のうちに。

ハラスメントのない世界は実現できますか?

太古の昔から、人類は争いが絶えません。そもそもは自分、家族、一族を守るため。愛するがゆえに戦いをしているのでしょう。愛が戦争、殺し合いの原因ではないでしょうか。時代が変わり、技術が進化しても、人間がその歴史を顧みれば、その根源は自分が生きていたい、家族、子孫を守りたいという願いにあると思います。

その具体的な例は、今やあげるまでもないでしょう。イスラエルもバレスチナも、欧米もアジアも・・・。「正義」「平和」「平等」という概念すらも同じ意味を持つことはありません。「人間の尊厳」というわたしたちカウンセラー、キャリアコンサルタントが最も価値あるものとしている概念は決して人類共通のものではないことは周知のとおりです。

ハラスメント防止研修も、その基本は「人間の尊厳」です。その尊厳を傷ずつけるものが「ハラスメント」です。それは「いじめ、嫌がらせ、時として死に至る危険行為」です。今や、この世界の国々、人類全体がハラスメントをし合っているのが現実です。

私たちの研修は、私たちの心に巣食う「どうせ、ハラスメントは無くならない。

人間は永遠に分かり合えない。話し合っても無駄だ。研修なんて意味がない」という意識との戦いの場です。

 さて、わたしたちはこの世界でどう生きようとしているのでしょうか。何をその軸とできるのでしょう。

 

カウンセラー 松本利勝

ハラスメント防止研修はつまらない!

わたしが教頭であった頃、もう10年前になりますがー教員研修のひとつに「ハラスメント防止研修」がありました。教員研修の企画をするのも管理職の職務です。その頃は、まだどこに適切な講師がいるのかわからず、よく教育機関が依頼する○○というところにお願いしたのです。すると、弁護士さんたちが数人やってきて裁判事例を紹介するのです。「こんなことをすると訴えられますよ。だからしないようにしましょう」という感じです。判例研究会のような印象。一方通行の講義です。弁護士さんたちは、一生懸命に説明されましたが、頭には何も残らない。何故なんだろう、と思ったのです。

わたしたちは学校という教育現場の教員で、日々、生徒たち、保護者の人々、同僚、職員さんたちと一緒に、時に激論を交わしながら必死に働いていたのですが、弁護士さんの法律的アプローチには違和感がありました。教育のプロではない方々に人をひきつける授業(研修)を期待してはいけないのだと痛感いたしました。

 

数年後、教員時代を終えて、わたしが研修講師となりました。そして思うことは、現場でひたすら葛藤しながら、少しでもその職場を良くしたい、風通しの良い環境にしたいという人々の役に立てるような研修をしたいということです。

それがわたしたちの志。ここに今を生きるわたしたちの未来への希望があります。

夢のように日々は過ぎるけれど

誰の名言だったか忘れました。が、確か人が最後に必要とする土地は自分のお墓の面積程度、と。わたしは多磨霊園共同墓地を予約していますので、手のひら程度です。

なのに、私たちはどうでしょう。この世のものに執着している! 最大の執着は愛する者たちと別れたくない、ということ。だから死にたくはないのです。いつまでも愛する者たちと共に生きていたいのです。もし、この宇宙に自分だけが生き残っていても、それはもはや孤独の地獄。生きている意味は見いだせないでしょう。愛する、ということが私たちの最も大きな課題であり、また同時に自分がこの世を去るべくして去る者ということを如何に受容するかも。そして死は終わりでなく、愛する者たちとの別れでもない。死はその神秘を理解する旅の始まりでもあると。

困ったものです。お盆の日だからでしょうか。こんなことを考えてしまいました。

 

大学の相談室から

今、弊社の業務の一つとして、ある大学の相談室運営があります。この大学は理系の大学で、しかも文科省管轄ではありません。授業も特殊で一般の大学とはかなり趣が異なります。しかし、学生さんたちは普通の学生さんたちです。その悩みも思いも、夢も特別に変わったことはありません。失恋、就職の不安、単位をとれない不安、希死念慮発達障害のカミングアウトなど実に多様です。

わたしたちの相談室の方針は、相談事がなくても気軽にぶらりと立ち寄れて雑談できる場にすること。私たちが運営する前の相談室には何と1年でわずか3人の相談者がいただけでした。理由は、カウンセラーがただ待っていただけだから、と思われます。確かに、普通の大学の相談室は通り一遍のパンフレット、広報があるだけでしょう。大学の教職員もそのようなものかと思っていたに違いありません。

 

わたしたちは、新年度の学生ガイダンス、すべての教職員との面談、留年生へのガイダンスを訪れて、安心して話に来れる「顔の見える」相談室になるように動いたのです。相談室担当の先生方も実に熱心に協力してくださいました。お茶、お菓子を常備することにしましたが、その費用は初めはわたしたちの寄付でしたが、今は教職員のカンパでです。今年は4万円程度。素晴らしいことです。そのような努力の結果、毎月の理由件数は10件から20件。深刻になものから軽いものまで。今や学生課職員さん、保健室のスタッフ、就職相談室スタッフも相談室と連携するようになりました。

すべては学生のために。相談室は誰でもいつでも、気軽に訪ねてこれる優しい場になりました。

わたしたちが運営している限り、これを続けたいと思っています。