カウンセラーの心の中

カウンセリングには、メンタルヘルス系とキャリア系のふたつがあります。わたしは依頼先の要望に応じて、それぞれに対応いたします。カウンセラー資格とコンサルタント資格の使い分けです。しかし、どちらも基本は同じ人間としてのリスペクト、そして傾聴です。すべての技法はこの観点なくしてあり得ません。コーチング、メンタリングという領域でも同じだと思われます。

 

 しかし、これは簡単なことではありません。いろいろな現場でも回数を重ねて経験豊かだから、上級資格を持っているから、というところだけでは通用しない現実があるのです。

その意味で、わたしたち専門職は絶えず、真摯に研鑽を積んでいくことが必要であることを実感しています。

 

 過日、あるところで出会ったクライアントさんは、家族との不和、離婚、転職、病を持つ方でした。カウンセラーとしてその心の痛みに思いを馳せながら、傾聴し続けることは自分自身の心の深いところでも共振してしまい、痛みを感じました。冷静さを同時に併せ持つことは大変な作業でした。常に、人生とは何か、生きること、命を終えることについて考えざるを得ないのがこの仕事だと思います。

 

 多くの心理系の学問は一応、様々に分類されますが、しかしそれは思考するうえ、理論的視点から便宜上のことで、実際は一人の人間の中では、ごちゃまぜに混沌としているように思います。安易に哲学的、宗教的になることは時に、逃避、思考停止、カルト的にもなりますから十分に気を付けなければなりませんが、理屈を超えた、まるごと不完全な自分を受容してくれる存在を知ることも必要かもしれません。大自然の中で、また仏像の前で、あるいは十字架の前でわが身を冷静に見つめることなども必要かと思うのです。そのことを心に止めながらこれからもカウンセリングに向き合いたいな、と思う今日この頃です。

スクールカウンセラーの本当のこと

教育現場のカウンセリングの真実。わたしはこれまで35年ほど学校教育に関わってきました。担任、主任、教頭、校長、不登校担当主任と立場はいろいろでした。神戸で二年、東京で30年、仙台で2年。そして今年から埼玉の大学で。カウンセラーとしては資格を取得してからのこの5年くらいでしょうか。

学校のカウンセラー、いわゆるスクールカウンセラー臨床心理士、公認心理士、産業カウンセラーが採用されることが一般的ですが、その立場の多くは非常勤で週に2回から3回程度。時給は学校により異なります。公立系は教育委員会の方針によりますけれど、学校を循環するカウンセラーがいる程度でしょうか。

スクールカウンセラーは児童・生徒・学生の声に耳を傾け、その命に寄り添います。しかし、そのことはカウンセラーひとりでできることではありません。学校現場には、その人を支援する様々な人々がおります。職員、教員、カウンセラー、管理職と立場が異なっても、その人を応援する気持ちは一つです。そこで大切なことは必要な情報交換ができる協力体制です。自分だけが持つ情報だけで、その人の置かれている状況、その支援し方が見えるわけではありません。カウンセラーの守秘義務は守ることは倫理的に当然のことですが、その基本は相談者の命に支援です。そのことのためには、他の人々とチームになって相談者を支援することは必須なのです。

かつてある私立校で不登校の生徒支援委員を担当してい時には、保健室、図書室、教頭、校長とは定期的に意見交換会を開いておりましたが、そこにカウンセラーの意見もしっかりと反映させていました。スクールカウンセラーの方はカウンセリングについては一定の知識、経験はありますが教育現場での担任等の立場などはご存じないので、このプロセスが必要だと判断されているからです。願うは相談者の生きんとする命の回復。

 

天使と出会ったときのこと

昔、天使に出会ったことがありました。群馬県高崎市、といっても周りは山ばかりの小高い丘にある「新生会老人ホーム」で。わたしは毎年、夏に有志の中高生を引率してそこで「人間の学校」と称して奉仕プログラムを行っていました。生徒たちが、ホームで暮らす人々との出会いから人間について、自分について学ぶのです。引率する教師たちも一緒に学びます。

 

ある時、そこで天使に出会ってしまいました。その天使はシスター(修道女)の衣装を身にまとっていました。確かに、それはまさに本物のシスターでした。高齢ではありましたが、その輝く笑顔はまさに天使そのもの。彼女のことば。「あなた、よくいらっしゃいましたわね。さぞお疲れだったでしょう。どちらからいらしたのですか。」わたしは、そのあまりの美しい立ち居振る舞いにどこか神聖な思いを抱きました。

 

翌日、その天使様にまたお会いしました。そこにはホームのスタッフが数人常駐しています。キリスト教の精神に基づいている施設なので、シスターがいらしても不思議ではありません。チャペル(施設付属の礼拝堂)もありますし。シスターが私の姿をみつけると、また声をかけてくださいました。

 

「あなた、よくいらっしゃいましたわね。さぞ、お疲れになったでしょう。どちから・・・・」もちろん彼女は輝くばかりの笑顔。その翌日も、同じ言葉でした。その時、天使様を見守るスタッフが私に向かって、微笑みました。そうして悟りました。

 

ひとりのシスターが認知症になり、この施設の利用者となり、やがて我々訪問者を出迎えるようになったのです。かつて、救いを求めて修道院を訪ねて来られた人々とともに祈られたように。

 

認知症になると、たとえその人がどのように高潔な方であっても、時に醜悪な言動をさらすこともあります。しかし、このシスターは、そうではありませんでした。

 

「エンジェルホーム」それがこの施設の名前です。天使が舞い降りる素晴らしい場所です。

 

 

松本利勝

 国家資格キャリアコンサルタント

 産業カウンセラー

 教育カウンセラー

カウンセラーは現場で学ぶ

最近、あるお役所の20代の新人さんのカウンセリングを担当する機会に恵まれています。

これは人事部の企画なので特別に悩みがあって、訪ねてくるわけではありません。ただ、話をしていると実はこれからの自分の働き方について不安がある自分に気が付いたり、ありたい自分の姿を確認したりする意味ある時間になっているようです。

 

今回は体験カウンセリングということなので、相手の方から話しかけてくることはありません。信頼関係を作ることは当然のプロセスですが、そのためにはカウンセラーの適切な自己開示、相手の気持ちに寄り添いながら語り掛ける開かれた質問が必要でした。カウンセラーは何より傾聴することが大切ですが、傾聴とはただ相手の言葉を受け取るだけのことだけではなく、相手が自分自身の今の在り様を客観的にみつめることができるような支援という意味合いもあります。コンサルティングの技法にも通じる要素です。

 

カウンセリングもコンサルティングも、おそらくコーチングも現場で経験を積むことでそのスキル、しかも表面的な技術という意味合いを超えた関わり方を進化させるのでしょう。

わたしは、恵まれてそのような機会をいただける環境におりますけれど、資格を取得したばかりの方は、どのようにして「現場」を持てるのか、悩むことが少なくありません。資格はとったけれど・・・この資格をどう生かせばよいのだろうと途方に暮れる。

 

しばしば、資格を取ると上級資格に挑戦する方がおられます。それは勉強を継続するうえでの大きなモチベーションになりますでしょう。けれども、それも現場を持ちながらでなければ、たとえ立派な上級資格をとり「指導者レベル」と呼ばれても現場を知らない方は指導はできません。水泳理論で博士になっても、水に入ったことのない方は、水泳の指導者にはなれないのと同じです。特にカウンセリンクやコンサルティングはその人の人生経験の豊かさ、内省の深さも大きく関係するからです。

 

さて、今、コンサルティングやカウンセリングを勉強されていらっしゃる皆さん、これからどのような現場で自己研鑽を積まれますか?

 

#カウンセリング #自己研鑽 #キャリアコンサルティング #資格を生かす

 

松本利勝

 元中高校長 教育カウンセラー(不登校問題などでお悩みの方、お話を伺います)

  国家資格キャリアコンサルタント 産業カウンセラー 防災士

森のカウンセリング

高校教員時代に軽井沢でキャンプの引率をしていた。軽井沢のすばらしい自然の中で自分をみつめるという体験型ワークショップ。夜明け前、希望者のみがキャンプ場の林に囲まれたファイアー・スペースに集まり、夜明け前の静けさと夜明けの森の色と目覚める音を聴くというプログラムは人気があった。草むらに寝転んで暁の空を観察する。紫ともオレンジとも言えない神秘的な色彩の変化に驚く。暁の森は沈黙の音。夜明けと同時に野鳥たちが少しずつ囀り始める。チュン・・・ピピ・・チュンチュン・ピピピピ。ざわざわ。生徒たちはどんな音が聞こえるか、数えてみる。10も聞こえる生徒は感性豊か。ミソサザエ、風が樹木をかすめる音、虫が目覚めて飛び立つ音。森の「サウンドマップ」づくりにも挑戦した。そして森にはいろいろな命の音があふれていることに感動する。

 

またあるときは、聴診器をもって樹木の声を聴く。またある時は、自然の中にある色を集めてみる。野の花、雑草、虫の羽・・・すると同じ色はこの世界には存在しないことに気づく。葉っぱ一枚一枚、みんな異なった色。いろいろに命の色。

 

カウンセリングも同じであると思う。ひとりひとりの声に耳を傾ける。心を空っぽにして、ただひたすらその人の心の声を聴く。それを「共感」と呼ぶ。それは間違った解釈だろうか。

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めんどくさい人

なんだか、めんどくさい。もうどうでもいい。何もしたくない。誰とも会いたくない。電話にも出たくない。人間関係はめんどくさい。友だちも家族もめんどくさい。あぁ、めんどくさい。会社もいきたくない。挨拶も笑顔もめんどくさい。もう歩くのもめんどくさい。パソコンもめんどくさい。スマホも見たくない。誰ともつながりたくない。

もうご飯もええわ。何食べるかとか考えるのもめんどくさい。洗濯もめんどくさい。アイロンもめんどくさい。白髪染めもめんどくさい。もうどうでもいい。どうでもいい。生きるのもめんどくさい。めんどくさい。めんどくさい。あぁめんどくさい。どうでもいい。病気するのもめんどくさい。死ぬのもめんどくさい。もういろいろめんどくさがるのもめんどくさい。

 

だから明日も会社にいって仕事しょう。笑顔と挨拶。人々と一緒に生きる。共にささえあいながら。それが一番、めんどくさくない楽しい暮らし。

わが子が学校に行けなくなった・・・

「うちの子が連休明けから・・・学校に行けないんです・・」そのようなご両親の相談が珍しくありません。小学校では約5万3千人、中学校で13万人弱の子どもたちが不登校であると報告されています。

 某政府機関の相談室でも例外ではありません。「実は仕事のことでなく・・・」と。あるお父さん、「学校にはスクールカウンセラーが配置されてはいますが、予約しても1か月後になるし、専属のカウンセラーはいなくて巡回しているだけなのでとても継続的で親身なカウンセリングは期待できないのです」と。確かに、公立小学校にカウンセラーが毎日、詰めていることはそうありません。かつて私が勤務していた私立の学校は、毎日、複数のカウンセラーがいつでも、児童・生徒の相談を受けることができる体制でした。予算も確保していました。それが当たり前だと思っていましたが、日本全体でみれば、公立私立ともにそのような手厚い体制があるのは稀であることがわかります。良くて週に数度、非常勤で採用されているだけでしょうか。またスクールカウンセラーが雇用される場合は「臨床心理士」か「公認心理師」の資格を持つ者が採用されるケースが多いように思われますが、現場ではカウンセラーは担任、保護者、教頭等の現場の先生方と連携しなければ成り立ちません。学校という教育現場の組織の特色、異動などの人事体制、カリキュラム、先生方の勤務体制などにも一定の理解が必要ですがそれが難しいのです。心理職としての専門知識はあっても、そこまでの力量を持つ方は稀でありましょう。心理職としてどのような現場でどのようには働きたいのか、その人の意識が問われるところです。

 かつてわたしは渋谷区の某有名私立中学で不登校生徒のお世話をしていたことがあります。教員としての立場でしたが、建学精神を教える立場、いわゆる心の教育担当者でもありましたから、不登校の生徒をわたしの研究室で預かることにしたのです。隣接するカウンセラー室と保健室との連携作業です。学校には何とか来ることはあるけれど、教室には入れない子二人。はじめは心を閉ざしていましたが、次第にお弁当を一緒に食べるなどして、柔和な顔が戻り、一年後、クラスに戻っていきました。一緒にご飯を食べること、子供が興味を持つことを一緒に作業すること。割りばしで「巨大なノアの箱舟制作」それを文化祭で展示する。それがわたしの対応でした。学校に生徒の居場所を作っていたということです。現場ではカウンセラーの心理学的見識と先生たちの経験、共にその経験を分かち合い協力し合う、ということが必要だということを実感した経験でした。

 コロナ禍ではさらに不登校の生徒が増える可能性があります。私たちにできることは何でしょうか。