いのちの看取り

先週、義母が亡くなりました。

97年の人生を見事に生き抜いた人でした。特養で妻が看取りました。その数日前に妻が帰宅した際にわたしがその傍らにおりました。義母が微熱を出していたので氷水で冷やしたタオルを額にそっと。すると彼女はほとんど骨と皮になったその両手でわたしの手を包み込み、やさしい笑顔で小さく声を発しました。それは言葉にはなっていませんでした。しかし、わたしには理解出来ました。「娘を頼みます。」と。妻は一人娘で、生まれながら肢に障害を持っています。その娘に詫びていたのです。「そんな身体に産んでごめんなさい」義母も同じ障害を持っていましたから遺伝であると思っていたのでしょう。

わたしは、その両手を握り返し、ゆっくり深く、思いっきり笑顔をつくりうなづきました。すると義母は安心した表情で目を閉じました。そしてその翌日、義母は旅立ちました。

 

人が自らのいのちの終焉の時を知る時、何を想うのか。義母は愛する者の幸いであったでしょう。看取りとは旅立つ者の願いを受け止めること。命のバトンをつなぐリレーのようなものかもしれません。

40年ぶりの教え子と

40年ぶりに教え子と出会いました。長い間教員をしていましたが、あまりこのようなことはありません。卒業してしまえば、一部の親しい人以外、その他の卒業生とは会うことはありません。たまに俳優になったりアナウンサーになったりする人がいるとメディアでその姿を見かけます。が、あぁこの生徒は大人になったな、とひそかに応援するだけです。

ある卒業生から40年ぶりに連絡があり、一緒に母校の礼拝堂を訪ねました。その人は聖歌隊でしたので、かつての自分の聖歌隊席を懐かしんでみつめていました。彼女は今、米国で大学の教員をしていますが、その働きが人々のためにどのような意味があるかと問い続けています。実にすばらしい教員です。

その人に尋ねました。「わたしは君にとっていい教員だったろうか。レポートにはいつも厳しいコメントを書いていたが・・・」すると、その人はわたしは厳しいコメントをいただくとまた考えなおし、問い続けましたから。と。多少は気遣った表現だろうけれども、少しは本当かもしれない。若き日の自分がどれほどのコメントをかけたのかわからない。いつも赤字で、思ったことを書き連ねていたように思う。それでもそのコメントが彼女にとって意味のある事であったなら、それは何かしら大きな力が働いていたのであるとしか思えない。

緩和ケアのプロから学ぶカウンセリング

 還暦を迎えた頃からだろうか、私は親族の死、恩師の死、友人の死に対して、どのように向き合うべきか、考えることが多くなった。それは自らの死を考える大きなきっかけになった。父は67歳交通事故で脳挫傷、脳死状態でやがてそのまま死の宣告が告げられた。母は癌で亡くなったが、最後まで穏やかな死であった。兄は67歳で癌で亡くなったが、死の直前には理性を失った言動があり、そのまま亡くなった。従兄は癌になったが山奥の山荘で自給自足の暮らしを守り、最後は仙人のように静かに息を引き取った。人の死に方は実にいろいろであると知った。

名著「死ぬ瞬間」の著者エリザベス・キュプラ―・ロスも晩年は脳卒中を患い、身体の自由を失い、激しい怒りや葛藤、抑うつを抱え、「死は優しく私を迎え入れてはくれない」とその苦悩を語っている。

 死の訪れ方、その受容は人により、実に多様である。ロスのように緩和ケア、終末医療の専門家でもその苦悩からは逃れられない。しかし、その知識、知見は、自らの死に向かうプロセスを客観的に見つめる視点をどこかで持ったであろう、と思う。それは不安を和らげる大切な知恵であったと推察する。

 カウンセリングの現場でも多くの人の苦悩の言葉、その悩みと出会い、寄り添いつつ、そのプロセスを客観化するように努めている。自分自身の人生の課題と向き合いつつ。カウンセリングの現場にきれいな解決がいつもあるわけではない。また自分自身の問題に対しても悟りのような結論はない。しかし、ありのままの現実を受容するひとつの窓にはなるかもしれない。未だ、自己探索の途中である。

 

「頑張れ」は禁句か

「頑張れ」・・・

言葉の意味は、その人間関係、またいかなる状況かにより、変化するものです。

スポーツのコーチが、相手へのリスペクトを持ち、そしてそっと背中を押してその努力を認めている時にはそれは愛情のある励ましになります。

しかし、相手が既に大きな困難、不条理にじっと耐えて「もうこれ以上は頑張れない」と心の叫びがある場合には、その言葉はその人の心を傷つける、重荷になることもあります。震災の現場の被災者からしばしば聞く声です。

 

言葉は、人を支える素敵な愛情表現にもなり得るし、その心を傷つける刃にもなります。

それはカウンセリングの現場でも、同じです。「今、この時」相手に対してどのような言葉を選ぶか、私たちが常に問われていることですね。

AIはカウンセラーになれますか

昨今の大きな話題はAIとの付き合い方でしょうか。これからはビジネスの世界もAIなくして成り立たなくなる世界が当たり前になるでしょう。

さて、カウンセリングの世界に関わる者としての関心はAIは「カウンセラーになり得るか」です。AIはどんな相談も否定せず、共感的、支持的に応答してくれます。「あなたの限界は?」と問えば「わたしは機械です。ですから人格的出会いはありませんが、それでもお役に立てればとてもうれしいです」という自己理解も確かな応答が帰ってきます。

 

さて、あらためて問いましょう。AIはカウンセラーになり得るでしょうか。

その答えは、私たち自身がAIに相談して満足いくかどうか、試してみることだと思います。他の誰かの議論に惑わされずに。

 

みなさんのお考えをお聞きしたいものです。

わたしもあなたも樹木も宇宙

子どものころからの疑問。自分は何者か。どこからきてどこに行くのか。

まだ小学生4年生頃、祖母が亡くなり、その亡骸をみたときにそう思った。

 

あれから60年の歳月が流れた。哲学、神学、仏教、宇宙物理学を多少なりとも学んで辿りついたこと。それは宇宙そのものが誕生した時、まだ時間すらも存在しない時に、「わたし」は生まれた。わたしは元々は無そのもの。無という概念すら存在しない「ム」。「わたし」の根源は時空の中で、物質を形作り、やがて生命反応を生み出した。

それは「わたし」つまり宇宙が自らを自己理解しようとした始まりでなのだとい説もある。それは腑に落ちる。

祖母は火葬され、骨と灰になり、自然に帰る。そしてまたそれらは他の生き物や物質に姿を変える。命の連鎖の法則。死は命の終焉ではなく、命の変容である。「意識」はなくなるが、祖母の意識と言う波動は宇宙に反映し、その波動は今もここに存在している。わたしと祖母は繋がり、また「わたし」の命もこの宇宙のすべての命と流動的に連鎖している。

 

そう思うと、この世界、この宇宙のすべてがいとおしくなる。

 

                             松本利勝

与えることの永遠

ふたたび絵本について。「The Giving Tree」シェル・シルヴァスタイン作。日本では「大きな木」。1964年にアメリカで出版されている。そのまま訳せば「与え続ける木」。

一人の少年に、彼がその老いて人生の終焉の時までも、ただひたすら自分を与え続ける木の物語。与えらられ続けた者はその人に何も与えない。ただ奪うだけ。だが、疲れるといつもその木にやってくる・・・

 

これまで私もただ奪うだけの人生であったと思う。これまでの人生は誰かにいつも与えられていたが恩返しはしていない、多くの先達はこの世を後にした。お礼も言えない。後悔ばかりが残る。

 

だが、今、この古希を迎えて、与えること、その行為自体に意味があると思うようになった。木は与えることが生きる意味だったのだ。与えられることよりも。

 

わたしたちはある時は「木」であり、またある時は「奪い続ける者」であるが、実はそれで良いのだろう。