先週、義母が亡くなりました。
97年の人生を見事に生き抜いた人でした。特養で妻が看取りました。その数日前に妻が帰宅した際にわたしがその傍らにおりました。義母が微熱を出していたので氷水で冷やしたタオルを額にそっと。すると彼女はほとんど骨と皮になったその両手でわたしの手を包み込み、やさしい笑顔で小さく声を発しました。それは言葉にはなっていませんでした。しかし、わたしには理解出来ました。「娘を頼みます。」と。妻は一人娘で、生まれながら肢に障害を持っています。その娘に詫びていたのです。「そんな身体に産んでごめんなさい」義母も同じ障害を持っていましたから遺伝であると思っていたのでしょう。
わたしは、その両手を握り返し、ゆっくり深く、思いっきり笑顔をつくりうなづきました。すると義母は安心した表情で目を閉じました。そしてその翌日、義母は旅立ちました。
人が自らのいのちの終焉の時を知る時、何を想うのか。義母は愛する者の幸いであったでしょう。看取りとは旅立つ者の願いを受け止めること。命のバトンをつなぐリレーのようなものかもしれません。