わが心のネアンデルタール人に訣別を

 

 

f:id:careersg:20170626070750j:plain(森の仲間 イラスト 

                              マツモト トシカツ)

 

マンションのエレベーターの壁に鏡があった。そこに映るのは冴えない熟年の男の姿。わたしである。近年の人類の進化の研究をたまたま知ったからだろうか。ふと、考えた。「この鏡に映るわたしは何者だろうか。」哲学の形而上学(観念的な机上の論理)ではなく、人類学上の分類ではわたしは現生人類、ホモ・サピエンスサピエンスである。そしてその体内には1%から4%の確率でネアンデルタール人のDNAがある。わたしはこの事実の意味する中身を考えなければ、と。

ネアンデルタール人は、「模倣」、つまり鋭利な自然石を真似て、ナイフや槍を作った。一方、ホモ・サピエンスは模倣するにとどまらず、創意工夫して暮らしにより便利かつ創造的なナイフなどの道具を工夫する力を持っている。太古の時代、ネアンデルタール人とその生存期が同じ時代もあったが、ホモ・サピエンスは彼らが絶滅した後でも生存し続けている。研究者たちは、ネアンデルタール人の絶滅の理由として模倣のみの文明の脆弱さを指摘し、ホモ・サピエンスのサバイバルの理由をその環境の中で生き抜く創意工夫能力と指摘する。

わたしたちの人生も同様かも知れない。今までの生き方がいかに誇り高き創造的なものであったとしても、これからの人生がそれまでの模倣にとどまり、進化していかなければ、人生の絶滅は時間の問題となる。社長、部長だろうが、司令官だろうが、それが己の生きた証だと自負する者たちの必然的末路となる。ネアンデルタール人のDNAに心が支配されるのである。しかし、もしわたしたちがこれまでの人生の成功体験に固執せず、未だ未知の世界に真摯に身を投じる勇気を持ち得るなら、そこに絶滅の道はない。そこにあるのは年齢、環境を超越した、充足感である。

さて、わたしたちはホモ・サピエンスとして自分らしい人生を生きるとき、人生のどのようなライフデザイン、キャリアチェンジの選択が許されているだろうか。

ちなみに国際自然連合による分類では、わたしたちは「絶滅危惧種・低危惧種」である。

 

松本 利勝

 

 株式会社 キャリア・ストラテジー 講師

 国家資格キャリアコンサルタント

 産業カウンセラー

 元宮城学院中学・高等学校 校長

 

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バカボンのパパ、そのキャリアデザイン

 

 バカボンのパパは人類最大の偉人である、と確信している。無論、我が家の最大ヒーローである。どんな失敗をしても「これでいいのだぁ!」といつも前向きだからである。息子が尊敬する「カール」おじさんよりもずっと偉大である。カールおじさんシリーズは、入試の時期に「ウカール」君が発売されて、ご利益宗教のような存在であるが、しかし息子の大学受験で貢献したぐらいでは、パパを越えることはあり得ない。

 わたしの住んでいる青梅市赤塚不二夫博物館でレレレのおじさんをぼんやりながめながら、そんなことを考えた。

 アリストテレスソクラテスも、プラトンも、キリストもシータールタ(お釈迦様の名前)も、マホメットも、デカルトも、ニーチェも、その他教科書に登場する偉人も立派ではあるが、バカボンのパパにはかなわない。彼は昭和元年のクリスマスに、たぶん熊本県菊池市に生まれた。生まれた直後に「天上天下唯我独尊」(人間は誰でも掛け替えない唯一無二の存在)と発したほどの超天才児である。そのバカボンのパパがバカになったのは二歳の頃、くしゃみをした拍子に頭のねじが外れて口から飛び出し川に流されてしまったから。そのバカなパパはやがて市立七城中学を卒業し、バカ田高校、バカ田大学を卒業している。大学時代にママと結婚し二児を設ける。バカボンとはじめちゃんである。パパの二面性がふたりの子供に反映している。パパは食べるために、たくさんの職を転々としているが、時に暴言により会社を倒産させクビになり、また店舗を全焼させたりもしている。またその破天荒な言動で周囲を混乱に陥れ、人を死に追いやることもある。それでも彼は「それでいいのだ」と落ち込むことは決してない。心の闇と向き合うバカさがあるからである。

 赤塚不二夫氏の生み出したこの驚くべき偉大なヒーローは、かつて存在したあらゆる哲学書、人生訓にも勝る教訓を伝えている。何があってもそれでいいのだ。バカボンのパパのキャリアデザインとは、未来予測不可能であるが、しかし決してめげない、あきらめない、自己嫌悪しない、、、という究極的にボジティプなものである。世界のあらゆるカウンセラー、キャリアコンサルタントが、バカボンのパパに学ぶことは無限大であろう。

 

松本 利勝

 元校長

 産業カウンセラー

 国家資格キャリアコンサルタント

 

 

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ビートたけしさん、ごめんなさい

 

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                                                                                       (イラスト まつもと としかつ)

 ~北野武様に伝えたいこと~

いつの頃でしたでしょうか。教師になる前ですからもう40年以上も前のことになります。アルバイトで暮らしている時代のことです。あれは、夏の夜だったような気がします。わたしは友人と新宿のビルの高い階の、眺めのいいレストランというか、かなり広いバーのような小洒落た店におりました。二人とも実はお酒はそんなに飲めませんでしたし、部屋代すら事欠く貧乏暮らしであったのですが、この時ばかりはふたりともなんとなく、見栄を張ってみたかったのです。ふたりの小さな冒険でした。

わたしたちは、まず店のカウンターでおそるおそる、生ビールを注文してみました。少し離れた窓からは夜の新宿のあまりにも怪しい隣接するビル街のネオンの光が見えていました。うす暗い店内にはジャズに似た、普段あまり耳にしたことのない音楽が流れていました。その暗さに目が慣れたころ、私はテレビでしか目にしたことのない有名なあの芸人さんを見つけてしまったのです。彼は女性と一緒でした。テレビの印象とは異なる柔和なビートたけしさんでした。

わたしは、彼の姿を発見して、すっかり田舎じみたはしゃいだ気分になり、友人にこう誘いました。「サインを貰いに行かない?」若さは時に馬鹿さです。たけしさんは人気者になり、ただでさえプライベートな時間を誰にも邪魔されずに、ひっそりと楽しみたかったでしょうに、わたしはずけずけと声をかけ、サインをねだるとはなんと失礼な、なんと非常識な若者だったことでしょう。しかし、それでもたけしさんは、ほんの少し、困ったような表情をみせはしましたが、黙ってサインに応じてくださったのです。しかも、ビールのコースターに。あれから長い年月が経ちました。たけしさんはもう映画監督としても世界的名声を得ておりました。数年前、わたしは書店でたけしさんが昔の思い出を書かれた本を手に取りました。その本の一節にこんなことが記されていました。自分が若い時に、あるレストランで女性の友人と食事をしていたら、若い男がやってきて、自分のサインをねだった。場をわきまえぬなんて失礼なふるまいなのだろう、と思った、と。・・・・それが若き日の厚顔無恥な自分の姿であったことは疑いようもない事実でありました。思わずたけしさんに手を合わせました。たけしさん、ごめんなさい。

若き日には、傍若無人な行為も、人を人知れず傷つけることもあります。他人様に多くを許されて今があることをあらためて思うのです。

人は、新しい歩みを始めようとするとき、これまでの己の恥ずかしくも、かけがえのない記憶を胸に刻印するものなのでしょうか。

 

松本 利勝

  株式会社キャリア・ストラテジー講師

  国家資格キャリアコンサルタント  産業カウンセラー

  元校長の体験を生かした教育相談を中心に様々なカウンセリングに取り組む。

 

お子さんが不登校になったご両親へ

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 わたしの親族や知人のお子さんは、何人か中学や高校に行かない、という選択をしています。ある人はそのまま検定試験を受けて大学に進学し、またある人は通信教育で高校を卒業し、就職しています。海外でボランティア活動をする人もいます。彼ら、(彼女ら)には悲壮感はなく、実に爽やかであっけらかんとしています。

 彼らの両親に共通していることはひとつ。人生の多様な生き方、成長の仕方を肯定していることです。日本の学校というシステムは相対的なもので、たまたまそれに合わない価値観を持った子供がいたとしても不思議ではない、むしろそれが自然であるという考え方を持っています。もちろん、ご自身が、そのように生きておられることはいうまでもありません。

 このようなご両親は、学校と連絡は密に取りますが、しかし、子供が学校に合わないのであれば、そこにしがみつかなくてもいいよ、と達観しています。学校や友達、先生の良し悪しではなく、今は学校がただ合わないのだということを認めているのです。そして先生方にその考えをお伝えし、協力を求めるのです。先生方がそのことを理解し協力することができれば、後はその子を応援するだけだったのです。

 とはいえ、多くの場合、実際にわが子が、不登校になってしまったお父さん、お母さんの悩み、苦しみは実に深いものがあります。その戸惑いはほかの人には容易には理解できないものでしょう。もちろん、友人関係や、先生との関係、部活の問題等がその理由である場合は、その解決に全力で取り組みます。しかし、ひょっとするとその不登校ということの背後に複雑な家族の問題がある場合もありますし、また子供たちの心身の健康に関係する問題もあることもありますから、解決に至る道は決して平坦な、単純なものではありません。スクールカウンセラーの熱心なアプローチがあり、また心療内科に通い治療を受けたとしても、その解決への扉を見つけるには、それなりの時間と転機になる幸運な時期を得た出会いが必要です。

 いずれにしても、とても難しい問題です。ただ、いつも思うのは子供の問題は、実は私たち大人の価値観、生き方が問われる問題なのではないか、ということです。私自身の子育ても、教師としての営みもそうでした。それはトライアンドエラーの自分を変え続ける苦悩に満ちた壮大なプロセスでした。いや、今もそうです。いくつになっても悟りなどないのです。何しろそれまで自分を支えてきた価値観の是非も含めて、見直すことを余儀なくされるのですから、それはそれは苦しいことです。逃げたいのですが、逃げ切れない問い。それがわたしが今、お子さんが不登校になり悩まれ、相談にいらっしゃるご両親に向き合う際にこころに留めている問いかけです。この問いに、一緒に向き合うことでお互いに人として新しい道を開きたいと願うのです。

 でもね、そんな日々、こころに青空。空を見上げると雲の切れ間から青空。光もそのうち射すでしょう、と深呼吸。昨日、外に出て、空からもらったメッセージです。写真はその青空。

 

キャリア・ストラテジー 

  講師  松本 利勝 

        (元校長、国家資格キャリアコンサルタント産業カウンセラー)

 

 

わたしは教室に入れない先生だった

 わたしは、ずいぶん長い間・・・34年間も教員生活をしてきました。振り返れば、実にいろいろな生徒たち、いろいろな先生たちとの出会いがありました。

 はじめの赴任先は関西のある荒れた男子高校でした。当時、わたしは校内暴力、万引き、そして喫煙など心のすさんだ荒れた生徒たちと向き合うことに必死でした。ある教室では膝まである学生服を身にまとった生徒に度肝を抜かれました。上着からチラチラ見える赤いTシャツ、アフロヘアーやスキンヘッドの生徒たちがクラスを仕切っていました。わたしは教室に行くことが怖くなりました。それでもはじめはテレビの金八先生気取りで、薄っぺらな正義感をかざして、説教していました。が、生徒たちはすぐにそれが本物かどうか見抜きます。わたしの言葉など、まったく偽善的で生徒のこころには届きませんでした。授業はますます荒れて、おしゃべり、一部の生徒の立ち歩き・・・。わたしの注意などまったくの無視。ベテランの先生に相談しても、「はじめは誰でもそうだから、がんばりなさい」というアドバイス。教頭先生も励ましてはくれますが、わたしは実際、どうして良いか全くわからず、教師として失格ではないかとただ自己嫌悪に陥るばかり。毎日、眠れず、やがて学校に行くのが辛くなりました。また、あの生徒から「くそったれ!先生はドアホや!」という罵声を浴びせかけられるのか、と生徒が怖くなり、生徒が怖い、などと思ってしまう自分に教員としての自信も喪失し、さりとて教師を辞めて生活できる自信もない。八方ふさがりの苦悩の日々。

 そんなダメ教師であったわたしを変えたのは、わたしにその罵声を浴びせた生徒の家庭訪問でした。あまり気のりがしませんでした。「あんな生徒の家庭だからわけのわからん親が出てくるにちがいない。」電車に乗り1時間ほど。ある街の古いアパートの一室がその生徒の家でした。ノックをすると穏やかな仏様のようなお顔のおばあ様が迎えてくださいました。彼はのっぴきならぬ事情があり祖母と二人暮らしを余儀なくされていたのでした。彼の祖母は孫を心から愛していました。彼も祖母を支えていました。その時、わたしは、その生徒の悲しみ、優しさにまったく思いを馳せることをしていなかった自分を恥じました。言葉だけの正しさを振りかざす、最低の教師でありました。教室に行くのが怖いのでなく、実はそんなだめな自分と向き合うのが怖かっただけなのだと、はじめて気付かされました。若き日のわたしの姿です。

 先生と呼ばれて、人知れず苦悩する先生たち。難しいクラス経営、先生たちとの関係、保護者対応、管理職との相克、ご自身の家族との問題等々で疲弊枯渇する先生たち。そんな先生たちにわたしは心からのエールを送りたいと思います。立派な良い先生である必要はありません。誰からも好かれる先生でなくても大丈夫です。大切なこと、それは先生であるわたしたちが、まず自分の人生を自分らしく歩むこと。わたしたちには、そんな人生を導いてくれる「生徒」という「先生」がいます。もちろん、人生の選択肢には先生という職業以外の道も用意されていることもあります。また自分の世界を切り開くとき、誰かの助けをもらうのも決して恥ずかしいことではありません。こころのリセット。いつでもできます。

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(スナフキンのように自由に生きたいものです。これはわたしの自宅の玄関に飾っている絵葉書)

 

株式会社キャリアストラテジー

 講師 松本 利勝 (元校長  国家資格キャリアコンサルタント 産業カウンセラー)

 

 

 

先生になりたいと願う君へ

こんにちは。きょうは、先生になりたいみなさんへの言葉です。

あるお父さんから質問を受けました。「わたしの大学4年の息子は教員志望です。先生(松本)に人事を担った校長・教頭として何かアドバイスをしてほしいのですが・・・」と。そのお父さん、何とかして息子さんの夢をかなえてあげたいのですね。わたしは次のように彼に伝えました。ただし、くれぐれも過保護にならず、息子さんの自立を妨げない十分な配慮で、と付け加えて。

 

「先生という仕事を通して、どのようにしてこの世界を良くしたいのか、変えたいのかを具体的に熱く語ることができること。そしてそのための周到な準備を。コネ利用も含め考えうるありとあらゆる努力を死ぬ気で、クールに行うことです。」

 

書店で売られている就活本、ネット情報、就活セミナーでも同じようなメッセージを見かけます。それは当然です。なぜなら、わたしが伝えたことは人間が働くことの最も大切なモチベーションのひとつだからであって、就活の本質が最終的には人間の生き方であると知る人なら誰でもそのように記すのです。就活も人生の一大ライフイベント、転機の時であるのですから青年期というステージで、みなさんがどう生きたいのか、何をどう変えたいのかを問うのは当たり前のことなのです。実はこれは教職志望者だけのことだけではありません。働く人、いやわたしたちひとりひとりに求められる根源的な共通課題にほかなりません。

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(尾瀬。森も時々、こうして自分の姿を水面に移して観ているのでしょうか)

 

今一度、自分に問うてみましょう。「自分は学校という職場で、何を成し遂げたいと願うのか」それが採用者に伝われば、採用される可能性は大きく広がるでしょう。

ただし、公表されませんが学校には学校の事情というものがあります。例えば、私立校の場合、採用条件として学校の教員男女比、世代構成、教科バランス、学校として強化したいプログラム企画力やスキルを持っているかなどが考慮されます。それぞれの学校が求める採用条件があるのです。このことは応募者にはわかりません。ですから、たとえ不合格になったとしても、必ずしも、実力がないということではありません。たまたまご縁がなかっただけに過ぎません。気落ちしてご自分に不当に低い評価をしてはなりません。不合格なら、サッと気持ちを切り替えて他の学校にチャレンジしてみましょう。

 

                           キャスト  松本

 

世界のどこかにあなたを必要とする職場がある

就活生のみなさん、こんにちは。

もう五月ですね。この時期ですと4年生はES提出、会社説明会Webテスト等に追われていることでしょう。自己紹介、志望動機の前提となる自己分析も行いましたね。もちろん業界、企業、職種の研究もし、先輩の経験談もしっかり聞いて。また大学のキャリアセンター主催プログラムにも一通り参加して、それなりの準備をして来たはずです。みなさんはできる準備は十分に行い就活に必要なことを学びました。「就活は最後まで決してあきらめないこと。失敗してもそこから学び成長できるから」という人生訓すらも。あとは実践あるのみです。

 ところで・・・

数年前、やはり自分なりに準備をして就活に臨んだある学生がおりました。当然、この時期に果敢にいろいろな会社に挑戦いたしました。ESを送ったのは50社。けれども一次面接に落ち、二次面接で落ち、三次面接で落ち、最終面接に落ちること数社。気が付けば、10月。仲間の多くはすでに内定をいくつか手にしていました。他人とは比較しない。そんなことはわかっているのですが、実際はそんなことはありません。焦燥感がじわじわと彼を追い詰めます。夜も眠れぬ苦悩の日々。顔は青ざめ、救いがたき低い自己肯定感。すでに就活を継続する体力も気力も失せつつありました。親や友人の励ましも耳に入らず「何度も失敗したが、もう力尽きた。学ぶこともないし、もう成長もしない」と絶望していました。しかし運命の時が。11月のある日、彼は何気なく目にした新聞の求人欄に「大学職員募集」という文字を見つけたのでした。そして思い出したのです。いつか苦しい時に励ましてくれた大学の職員さんの言葉を。「大丈夫。きっと君に相応しい仕事と出会うから」彼の中に一筋の光が灯りました。自分を励ましてくれたあの大学職員のような人になりたいと。そしてその求人に応募。奇跡が起きました。四次面接まで勝ち抜いて内定を得たのです。彼は今、就活に悩む学生に寄り添っています。

 

この世界には、みなさんにふさわしい、みなさんを必要とする職場がある

f:id:careersg:20170516225845j:plain 都会の片隅に咲く野の花。彼らはどうやらその場所が気に入っているらしいのです。

 

                        キャスト 松本