(イラスト まつもと としかつ)
~北野武様に伝えたいこと~
いつの頃でしたでしょうか。教師になる前ですからもう40年以上も前のことになります。アルバイトで暮らしている時代のことです。あれは、夏の夜だったような気がします。わたしは友人と新宿のビルの高い階の、眺めのいいレストランというか、かなり広いバーのような小洒落た店におりました。二人とも実はお酒はそんなに飲めませんでしたし、部屋代すら事欠く貧乏暮らしであったのですが、この時ばかりはふたりともなんとなく、見栄を張ってみたかったのです。ふたりの小さな冒険でした。
わたしたちは、まず店のカウンターでおそるおそる、生ビールを注文してみました。少し離れた窓からは夜の新宿のあまりにも怪しい隣接するビル街のネオンの光が見えていました。うす暗い店内にはジャズに似た、普段あまり耳にしたことのない音楽が流れていました。その暗さに目が慣れたころ、私はテレビでしか目にしたことのない有名なあの芸人さんを見つけてしまったのです。彼は女性と一緒でした。テレビの印象とは異なる柔和なビートたけしさんでした。
わたしは、彼の姿を発見して、すっかり田舎じみたはしゃいだ気分になり、友人にこう誘いました。「サインを貰いに行かない?」若さは時に馬鹿さです。たけしさんは人気者になり、ただでさえプライベートな時間を誰にも邪魔されずに、ひっそりと楽しみたかったでしょうに、わたしはずけずけと声をかけ、サインをねだるとはなんと失礼な、なんと非常識な若者だったことでしょう。しかし、それでもたけしさんは、ほんの少し、困ったような表情をみせはしましたが、黙ってサインに応じてくださったのです。しかも、ビールのコースターに。あれから長い年月が経ちました。たけしさんはもう映画監督としても世界的名声を得ておりました。数年前、わたしは書店でたけしさんが昔の思い出を書かれた本を手に取りました。その本の一節にこんなことが記されていました。自分が若い時に、あるレストランで女性の友人と食事をしていたら、若い男がやってきて、自分のサインをねだった。場をわきまえぬなんて失礼なふるまいなのだろう、と思った、と。・・・・それが若き日の厚顔無恥な自分の姿であったことは疑いようもない事実でありました。思わずたけしさんに手を合わせました。たけしさん、ごめんなさい。
若き日には、傍若無人な行為も、人を人知れず傷つけることもあります。他人様に多くを許されて今があることをあらためて思うのです。
人は、新しい歩みを始めようとするとき、これまでの己の恥ずかしくも、かけがえのない記憶を胸に刻印するものなのでしょうか。
松本 利勝
株式会社キャリア・ストラテジー講師
元校長の体験を生かした教育相談を中心に様々なカウンセリングに取り組む。