木の気持ち

何故、青梅の田舎に住まいを構えたか。それは美し森と川があるからです。そして福島の田舎に似ていたからでもありました。

吉祥寺の近くに勤務する学校があり、毎日長い時間をかけて通ったのでした。授業も楽しく、先生方や職員の皆さんとも愉快な関係を築けました。すばらしい日々でした。思えば、生徒には十分な授業ではなかったかもしれません。生徒に許され、受け入れられた日々だったのでしょう。特に、若き日は失敗ばかりの授業であったでしょう。中高生6年間のカリキュラム、教案を考えるだけでも大変な日々でした。そして気が付けば管理職。正直、自分には合わないと感じていました。やはり、授業が楽しい。

 

校長職を終えて、一度引退して青梅の山に隠遁したのです。しかしほどなく、飽きてしまいました。近所の中学のグランドを見ている自分に違和感を感じました。社会とのつながりがないということは、生きている実感がないということでした。働くということは、誰かのために役に立っているという実感であることを悟った瞬間でした。

 

そして、もう一度社会復帰しました。カウンセラーとキャリアコンサルタントの資格を取得して。そして、今多くの人々に出会う幸せを取り戻しました。素晴らしいキャリアコンサルタントがそばにいて支援してくれていることに感謝しつつ。