クランボルツ先生の素敵なことば

f:id:careersg:20190523165102j:plain故クランボルツ先生

 

あのクランボルツ先生がお亡くなりになられました。先日、そのニュースを友人から知らされました。先生はスタンフォード大学の教育学・心理学の権威。そのキャリア形成理論「計画された偶発性理論」(ブランド・ハプンスタンス・セオリー)には、わたしが心の中で漠然と考えていたことが見事にことば化されていました。

誰でも、人生の中で、やりたい事、とりあえず挑戦したい事に向かって、取り組み始めるときがあります。職業選択もそうです。

しかし、人生には予期せぬ出来事、偶然の出来事が山ほどあるものです。誰かとの出会い、自然災害、事故等。いや、一瞬一瞬の出来事、空の雲の形さえ、わたしたちにとっては偶然の出来事です。そのとき、わたしたちは、この不可思議な偶然の出来事の前で、時にうろたえ、時に歓喜するのです。そして、その時にわたしたちが、その偶然をどう認知するか、ボジディプにとらえるならそのキャリア・人生は楽しく創造的なやりがいのあるものになりますし、ネガティブにとらえるなら、何をしてもその先には不安と絶望という不満足な人生になるのです。先生は、ポジティブに偶然を生かせと語ります。

わたしも30年以上の教員としてのキャリアを振り返りますと、すべてが偶然によるものでした。神戸の校内暴力が荒れ狂う高校に就職したこと、都内の女子高に移ったこと、仙台で校長になったこと、キャリアコンサルタントになったこと。。。すべてはたまたまでした。そしてその転機にはいつも誰かが新しい職場を紹介してくださいました。それらの偶然のすべてが今のわたしを形作ってきたのです。何とありがたいことでしょう。

人に裏切られ、また隣人も自分も裏切り、そして心が弱くなり、後悔の念に苦しむこともありましたが、しかし、その苦境の時でも支えてくださる人々がいたのも偶然の出来事でした。

 先生はこれから就職、再就職をしようとチャレンジする皆さんに、いや明日に向かって生き生きといきんとするすべての人々にエールをおくりたかった。人生は生きるに値する。決して希望を失ってはいけない。一度の失敗もまた、次のステップの糧になる。いやそれがあるからこそ、新しい可能性が見えてくる。人生はすばらしきかな。それが先生のわたしたちへのメッセージだったに違いありません。

奥多摩の山つつじ

 

f:id:careersg:20190509170601j:plain 青梅丘陵の斜面に咲く山つつじ

 青梅は山の街です。駅を降りて10分も歩けば、永山丘陵沿いのハイキングコース入り口です。今は森の緑が濃く野鳥のさえずりも爽やかに響き、森のあちこちに優しい朱色の山ツツジがひっそりと咲いています。

 山つつじの花びら一片のつつましい美しさ、その神秘はあのブラックホールのそれと同じです。すべてを吸い込み尽くした果てに何があるのか、宇宙物理学から最早哲学の世界。かつて、研究室の片隅で哲学青年と揶揄されながら、自己の存在の意味、宇宙をあらしめている根源とは何か、若き日の未だ尻の青い自分を思い出し、苦笑いです。

 しかし、改めて還暦越えのわたしが、この問いに向き合い、言えることは、畢竟このようなことなのです。

 自己存在の意味、自分はどこから来て、そしてなぜ生まれ、そしてどこに行くのか。

実はそれは固定的な答えなどない、ということです。仏教的な「縁起」のように、つまり、すべては関係性の中で変異流転しているので、決まった答えなどもないということです。ただ、一瞬一瞬の流れがあるだけです。わたしたちの命は、おそらく宇宙が絶えずどこかに向かって膨張しているように、どこか未知の世界に向けて生きんとする意思のようなものに導かれて生きているということでしょうか。

 今日は、少し難解なお話しになっているかもしれません。

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 わたしたちの日常は、山つつじ同様、筆舌に尽くせぬ喜びの奇跡に満ちていますが、

しかし一方、ある日突然に襲い来る悲しみ、絶望から逃げることもできません。この現実の中で、どう自分に、そして、他者にどんな希望の言葉を紡ぎだすか、まだ思索は終わりません。

わたしは宇宙人ではない

f:id:careersg:20190403153158j:plain 群馬県相馬原駐屯地にて(陸上自衛隊)

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生まれて初めて、ヘリコプターに搭乗いたしました。子どもの頃からの憧れのヘリ。先日、特別に招待いただき、このような素晴らしい体験をさせていだたきました。速度は300キロを超えるとか。群馬県伊香保温泉近くの相馬原基地。そこでは最新鋭の装甲車、ロケット、写真のような暗視鏡カメラ体験もあり、まるで遊園地状態でした。

ここで働く人々は、己の仕事に誇りを持っています。働くことの意味を考え、使命感を持っています。悩みがないわけではありません。しかし、その瞳に曇りはありません。

災害救助、海外派遣でも懸命に任務を果たします。それらの人々が、50代で定年退職しても、その未来に希望の光が見えるようにわたしたちキャリアコンサルタントがしっかりと御手伝いできるようにしたいと思いました。

今回は、忘れがたい社会科見学の様な自己研鑽のヘリ体験でした。お世話くださった自衛官のみなさまに心から感謝です。

 

差別化された豆大福

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f:id:careersg:20190314145803j:plain(食べてほしいと店頭に並ぶ豆大福たち)

子どもの頃、洋菓子など滅多に食べませんでした。昭和30年代の福島の田舎の子どもが洋菓子を食べるのはクリスマスのケーキと決まっていました。普段は、羊羹や大福が豪華なご馳走でした。それで、今でも、糖尿を案じる妻の目を盗んで密かに大福の名店を探索するのです。

今回は、泉岳寺近くの「松島屋」さん。午前10時にはすでに20名ほどが列をなしています。果たしてどのように美味なのでしょう。

愛想の良いお姉さん売り子から早速、購入。豆大福・・・それは、それは懐かしいあんこの味。甘すぎず、潰し過ぎず、色も薄いあずき色。なるほど、これは美味。最近の豆大福は、コンビニでもそこそこおいしいのですが、やはりこのお店独自のあんのおいしさでした。映画「あん」の樹木希林扮する元ハンセン病患者のおばあさんがこしらえた「あん」もきっとそのような味ではなかったか、と想像しています。まさに今まで、味わったことのない他のお店にはない差別化された豆大福。並んでも買いたい至福の手作り大福でした。

わたしたちの人生も、他の誰にも負けない、自分だけのあの「あん」のような忘れがたい美味なる味を出したいものです。そうすれば、きっと列をなして求めにいらっしゃる人々が現れるにちがいありません。

 

 

松本 利勝

国家資格キャリアコンサルタント

産業カウンセラー

元中学・高等学校校長

 

 

朽ちるままに生かされて

f:id:careersg:20190215173915j:plain森の朽ちた木を生かす

f:id:careersg:20190215174053j:plain上田市の家具職人 大橋文博さん

日本人としての感性でしょうか。木をみると愛しくなります。金属も陶器も石もすべて素敵ですが、樹木の温かみ、その無限の豊穣がわたしの身体に染み入ってくるのです。

今、品川駅ちかくのグルッペという小さなスペースで上田市で工房を営む職人さんの木工家具作品がいくつか展示されています。窓からうっとりみとれていますと、中から「どうぞおはいりください」とお声かけ頂きました。大橋文博さんとその弟子、藤野智朗さんのお二人の作品。おふたりは自然の木、気に留めずにいればただ腐ちて土になるだけの朽ち行く木たちにそっと手を加えます。そのいのちが輝きほとばしるように。写真のランプのような照明器具は朽ちた味わい。まるで円熟した禅僧のような風情。

わたしたち日本人には、自然のあるがままの姿、その中にいのちを見出し、それを受容し、共感し、ついにはそのものと一体化する、という思想があるのでしょう。少なくともわたしはそのような考え方、生き方に魅せられます。

人は、どんな年代でも、たとえ病という自然に生きるとしても、すべての瞬間においていのちがほとばしるような輝きをもてる。朽ちた木から示唆された豊かな時でした。

わたしたちもいのちを生きたいと思います。

 

松本 利勝

国家資格キャリアコンサルタント

産業カウンセラー

元中高校長

見上げる★の彼方

最近、定年を迎えて最終就職した人々と話す機会が増えました。話題の多くは定年後の人生をどう生きるか、です。定年後の人生を考えるということは、今までの自分自身の人生の軌跡を辿ることです。幼いころから、これまで自分の人生に大きな影響を与えた出来事(ライフイベント)は何だったのか。どうしてそのように思うのか。その意味をどのように解釈してきたのか。

わたしも自分自身が、還暦越えをし、更に昨年は兄が亡くなり、かつての職場(学校)の先輩教師たちの訃報もしばしば届きます。

人は生まれ、生きて、そしてやがてこの世界と別れを告げるのですが、もはやその意味を問うことなくして、日々の生活に充実感はありません。

定年後、最終就職したある友人からこんな相談がありました。「埼玉で友人とジャガイモを作っているのだけれど、それを誰かのために役立てたい。どこかそれを生かしてくれる場所はないだろうか」なんと素敵な相談なのでしょう。わたしの自宅は青梅にあり、その友人も親族が青梅に住んでいるとのこと。これはご縁かも知れぬと思いました。早速昨年生まれた「青梅子ども食堂」のスタッフと連絡を取りました。

ひとつひとつのジャガイモに込められた友人の願いはきっと、誰かを元気にするに違いありません。

そう、ここに生きるヒントがあるような気がしています。生きる意味も希望もひとりでは気づかないことですね。相談してくださった友人に心から感謝です。

 

国家資格キャリアコンサルタント

産業カウンセラー、元校長

 (不登校問題など教育問題が専門)

 

 

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f:id:careersg:20190121151241j:plain大井町のレトロな銭湯

年が明け、みなさん、いつもの日常に戻りましたでしょうか。今年の目標は何でしょうか。わたしは、毎年、何か決めるのですが、お恥ずかしい。三日坊主どころか何もせずに終わってしまうのであります。例えば、ある年は毎日、朝起きてラジオ体操をすると決めました。が、正月明けにはその決心を忘れました。またある年は、家計簿をつけて税金申告時に慌てないように、と決めました。が、そもそも領収書の保管すら覚束ない有様。はたまた、家族に糖尿の者がいるので、大好きな羊羹もつぶ餡大福も麻布一番のたい焼きも控えるようにと決心しましたが、気が付けばいつの間にか胃袋に収まっているのです。どうもダメ人間のようです。ですから、今年はいっそのこと、何も決めないことにいたしました。

 羊羹といえば、、幼かりし頃、福島の故郷の小さな町でお風呂のない家に住んでいた時分、父親と近くの銭湯に通っていた頃の思い出があります。

 父の自転車の荷台に乗って、銭湯に通っていたのですが、銭湯の近所に親戚の菓子屋ががあって、そこで一休みするのが常でした。ある日、大人たちのたわいもない会話などつまらないので、わたしはお菓子売り場に鎮座する羊羹をじっと見つめていました。すると奇跡が起きました。帰り際に親戚のおばさんが、米屋の羊羹1本をわたしに持たせてくれたのです。わたしは嬉しくてその羊羹を、自転車で家路につきながら、父親と半分ずつぺろりと食べてしまいました。家に持ち帰ると、他の三人の兄弟に分けなければならないからです。なんとわがままで意地汚い幼子でしょう。

先日、そんなことを思い出しながら、大井町のレトロな銭湯を楽しみました。タイムスリップしたようなレトロな銭湯。小さな池には錦鯉が泳ぎ、一番風呂には背中に上り鯉の入れ墨のおじいさん。番台には、すこしばかり森みつこさん似のやさしそうなおばあさん。

さて、今年も良い年にしたいと思います。みなさん、よろしくお願いいたします。

 

松本 利勝

 国家資格キャリア・コンサルタント

 産業カウンセラー

 元中高校長