人はどんな満足を求めて働くのか

 

 お腹がすくと、食欲を満たそうとし、生存を脅かす対象は、排除する。そしてどこかの組織に属すること、そしてそこで、認めてもらいたいとおもうようになり、自分らしい在り方、自己実現を求める。これは、あの有名なマズロー先生の説でした。人間の高位の欲求が自己実現ではなく、その先の自己超越という宗教的次元にまで達するという議論はさておき、アルダーファー先生は、その後、人間の欲求は、必ずしも、そのような段階を踏むものではないと考えました。実は、人は下位の欲求が満たされなくても、上位の欲求が生じることもあるというのです。いわゆるERG理論です。この説が正しいのかどうかはともかく、どうやら私たちが働くということと、どのような満足を求めて働くのか、は深い関係があるようです。

 

 さて、あらためて問いましょう。私たちは、何のために働くのでしょう。どんな欲求を満たすために? 人の心は複雑です。そう単純ではありません。名誉ために自死することもいとわない人も存在するでしょう。人を愛するがゆえに働き、愛するが故に非人間的労働もいとわぬこともあり得ます。人の満足の内容は、心の複雑さに比例するように思います。

 

 今年は、あるところでカウンセリングの仕事をさせていただいています。様々なお話を聞かせていただいています。そして思うのは、人の心の深い深い神秘、愛の形の諸相。自分の精神性も、決して分析などできませんが、少なくても、わたしたちの持つ、知識の限界、体験的学びの限界だけは、認識していなければならない、と。その事実の前には、真摯な姿勢が求められていると思うようになりました。カウンセラーならずとも。その方がどのような満足を求めてここにいらしているのか、いつも考えさせられます。

 

 心に重荷を負う人と共に歩む、とはよく聞く言葉です。が、その言葉の意味は、実に深く重いものです。軽々しく言えるものでありません。その人と共に、野獣のひそむ闇の森の中を共に手を携え、出口に見えるであろう一筋の光を求めて、手に持つ灯で足元を照らしながら、進むべき道を探し求める旅路。その時に私たちを導く灯とは何か、問いかけは消えません。

f:id:careersg:20180602155616j:plain

 

松本 利勝

 

元中学・高等学校校長

国家資格キャリアコンサルタント  

教育カウンセラー

産業カウンセラー  防災士