ブルーナの絵本へ~子育て中のパパ、ママさんへ~

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ブルーナが語るミッフィーのすべて」MOE特別編集 白泉社ムック 2017.6

 絵本は誰でも子供時代に親から読み聞かせしてもらった記憶があるのではないでしょうか。そして、自分自身が親になったときに子供に絵本を読んであげるのです。わたしもそうでした。「怪獣たちのいるところ」はわたしの最も得意とするところでした。絵本を通して親子の絆も深まったような気がします。さらにわたしの場合はわたし自身の人生を見る目を絵本に広げてもらったように思います。絵本の世界は、作者の世界ですから、絵本の数だけ、つまりその数だけ、絵本作家の世界観、視点、価値観と出会うことができた、というわけです。

 わたしが、最も気に入った絵本はオランダの絵本作家ブルーナの絵本です。色彩の魔術師、画家マチスに影響されていたのでしょうか、究極のシンプルな色彩と形、線でその作品は仕上げられています。そして、テーマは大人の鑑賞にも耐える奥深さがあります。その象徴的作品は「うさこちゃんのだいすきなおばあちゃん」。主人公ミッフィーのおばあちゃんの死がテーマですが、ここでは命とは何か、という人間の根源的な問いが与えられています。ブルーナは読み聞かせの対象が乳幼児だか

らといって、人生の本質的な課題をはずした絵本作りはしないのです。

 

人は生まれ、祝福され、生きて、そして与えられた命を全うします。命は、虚無に消えゆくのではなく永遠性を獲得して完成します。ブルーナのメッセージです。わたしは、ブルーナ絵本の豊かさに圧倒されました。今でも、時折絵本を手に取り、その世界から自分の世界観を見直す視点を得ています。わたしの成長の大切な糧となっているのです。

子育て中のママさん、パパさん。可能なら、育休もしっかりとって、子育てを楽しんでください。そして素敵な絵本と出会いませんか?きっとお子さんと一緒に成長できるはずです。

 

株式会社キャリア・ストラテジー

講師 松本 利勝

国家資格キャリアコンサルタント

産業カウンセラー

元中高校長としての経験も活かしながら、皆さんのお役に立てるような働きができることを願っています。

 

60代からのハローワーク

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(書店に並ぶ就活関係の本)

 

7月。すでに就活戦線は半ばとも、終盤とも、これからとも言える時期ですね。学生の皆さんは、内定をいただいて安堵している人もいるでしょうし、今まさに歯を食いしばって自分を激励叱咤してチャレンジし続けている人もいると思います。最後まで、あきらめずに、とエールを送り続けたいと思います。

 

わたしも、2015年3月に校長の任を終え、また新しい仕事を見つけるために4月から就活をはじめた経験があります。目標は2016年度4月からの就業でした。まず、失業手当をいただくためにハローワークに通いました。同時に、ハローワークの相談員に毎月、就活の相談をいたしました。60代のおっさんを採用する職場があるか。塾の講師、児童館のアルバイトなどはありましたが、それが合っているのか、人生を輝かせることが出来るのか、不安が渦巻いていました。このまま、隠居爺さんになろうかとも。

悩みました。学校でしか働いたことがない60代になった自分に果たして雇用されうる能力があるのか。採用する企業はあるのだろうか。・・。ぼぉっと考えても何もはじまりません。そこで、まずは自己分析を始めました。キャリアコンサルタントの知人にアドバイスを求めながら、自分の現状をしっかり認識して、就職するにあたって、欠けているものは何か、それを補う方法は何かなどを考えたのです。

今までの教員としての30年以上の経験を総括してみました。喜びを感じたとき、辛かったときはどんな状況であったか等、森の中で黙想しつつ考えてみました。(奥多摩の森と清流、森を吹き抜ける爽やかな風は、わたしの良きアドバイザーでした。森の野鳥たちも。特に囀るミソサザエは。)

そして得た結論。誰かの役に立ちたい。それも「教育」に詳しい相談員として。こうして国家資格キャリアコンサルタントになったのです。2016年4月から、偶然にも某中学校で臨時の特別枠の教員として採用され、今は講師として就業をしていますが、この資格を持つことでスクールカウンセラー養護教諭との連携もよりスムーズになっていると思います。互いにカウンセリングのプロとして協働できるからです。

ところで、最近の書店探検をしていますと、就活関係の書が目につきます。単なるノウハウものもあれば研究書的なものなどいろいろですが、中には興味深い情報満載の書と出会うこともあります。ただ、それを読めば就活に成功するかといえば、そうではありません。確かに、現代社会で、企業はどのような人事採用をするのか、といった最新情報は面白いのですが(例えば、ESを出すのにある程度、高額な費用が必要とされる企業がある。コストをかけてでも応募する者を採用したい、と。あるいは、面接会場を応募者に設定させる企業がある、という採用方法に関する話題。)それを知ったからと言って、応募者であるわたしたちが採用されうる能力(エンプロイアビリティ)が向上し、採用に至る、とはならないように思います。むしろ、情報に振り回されるリスクがあります。

60代からの就活で大切なこと、それは60代だからと言ってあきらめないこと。それをいろいろなキャリコン仲間から学びました。確かに公立校では定年で隠居する歳ではあるのですが、まだ誰かの役に立てると気づかされました。

50代の方、まだまだです。60代の方、まだまだいけます。一緒に、人生を切り開いていきませんか。

 

松本 利勝

株式会社キャリア・ストラテジー 講師

国家資格キャリアコンサルタント

産業カウンセラー

元中高校長

ロックの人間理解から~先生になりたい高校生へ~

f:id:careersg:20170701112931j:plain「野の花」水彩 マツモト

トシカツ

 

 

ONE OK ROCK  作詞作曲 Taka。そこにはこんな詩があります。

Look how far we've made it. The pain I can't escape it.

このままじゃまだ終わらせることは出来ないでしょ。なんどくたばりそうでも朽ち果てようとも終わりはないさ

 

この詩は恋歌のようにも取れますし、人間一般の不条理の世界にあっても悩みながら生き抜こうとする人々へのエールのようにも思え、素敵です。この詩は愛しき人への切ない想いと同時に人生の矛盾、合理的には到底理解不可能な現実を直視し、それでも生きようとする魂の叫びも重ね合わせるクールさがあるように感じます。このような深い意味を持つ音楽が一定数、若い人々に支持されていることに希望を感じます。

ところで今回のテーマは、将来学校の先生になりたいと夢見る高校生のみなさんに伝えたいことです。 みなさんはもう感じていることでしょう。学校は決して、楽な職場ではありません。朝7時半には職員室にはいり、クラブ活動の指導、後片付けをし、教材研究、授業準備、報告書作成、テスト作成採点、進路指導、その他数えきれない校務分掌、教員会、保護者対応、不登校児童・生徒への対応、研修会参加、中体連、高体連等の土日の引率、審判など、その仕事は無数です。学校を出るのは8時頃になるのは当たり前の日々です。それでも先生たちは、生徒の喜ぶ顔が見たくて頑張ります。

ただ、そのような厳しい労働環境の中だからこそ、心を病む先生たちも。2007年度統計では教員数104万人の14%、125人が自殺。2014年度は18.8%、146人に増えています。自殺に至らなくても精神的に追い詰められている人々はその倍以上でしょう。先生たちのそのように病む原因の第一はうつ。その要因は家族のこともありますし、生徒のこともありますし、多様です。第二は仕事疲れ。とにかく忙しすぎで休めない。心も体も疲弊しきっているのです。第三は先生方の人間関係。先生たちの多くは大学、大学院を卒業してからそのまま教員になります。ビジネスマナーを学ぶ研修も本当に効果的なストレス対応研修もほとんどありません。先輩の先生たちも皆同じです。教科を教えるプロではあっても、社会一般からみれば、きわめて狭い世界、ある意味、閉鎖的社会に生きています。公立であれば転勤という環境変化で回復する場合もありますが、私立ですと、いつも同じ先生方と顔を合わせるのですから、環境変化もはなかなか難しいのです。学年主任、学年の先生の会、生活指導などの委員会、教頭、校長、組合関係の役員の先生との付き合い方など、学校という職場での人間関係改善のためのストレスマネージメント(ストレスをしっかり自己管理すること)をするのは至難の業。先生たちのこの現実はまさに不条理に満ちた世界です。

先生になりたい高校生のみなさん。現場ではこのように厳しい現実もあるのです。とは言え、教育の世界は素晴らしいですよ。是非、チャレンジしてくださいね。ただ、私たちの生きているこの世界、その世界の中にある学校も納得のいかない出来事が山ほどあるのだ、ということを知っていてください。

今朝もテレビではイラクのISの拠点であるモスルがもうすぐ有志連合国が奪還するであろう、それでもテロはなくならないだろう、という報道がなされていました。テロの原因は複雑でしょうが、その根本はわたしたちの世界は、互いを認められない、認めてはいけない、という思想が厳然とあること。例えば難民・移民を受け入れたヨーロッパ諸国の中では、それらの人々の雇用(仕事)が少ないこと、あっても低賃金であることなどはテロを起こしたくなる不満の大きな要素でしょう。貧しさの中で自分の存在価値を認められず、雇用もされず、希望をどのように持つのか、という問題です。世界全体から見れば、人類に平等も絶対的な正義観念の確立もありません。身近な学校の世界も、暮らしの日常生活でも、その不条理は同じです。先生になるということは、このようなわたしたち人間のやるせない、どうしようもない、こぶしを握り締めて泣き叫びたくなるような憤怒に満ちたこの世界をしっかりと受け止めるということでもあります。ごめんなさい。こんなことを高校生のみなさんにお話しして、先生になる夢を壊してしまうかもしれませんね。

見てください。それでも、先生たちは君たちと一緒に学校で頑張っているでしょう。それがなぜできるか、こんな絶望的な世界でも、少しでも、世界を良くしたいからです。君たちと一緒に。案外、ロックな世界です。

株式会社キャリア・ストラテジー 講師

松本 利勝

国家資格キャリアコンサルタント

産業カウンセラー

元中高校長

【お願い】

わたしたちが立ち上げた「キャリア・ストラテジー」の願いはみなさんのかけがえのないひとりひとりの人生の歩みと共に歩むことです。あらゆる分野のスペシャリストが集結してチームとなって支援いたします。このブログもそのような願いをお伝えしたくて書いています。

HPもご覧くださいますとうれしく思います。知人̪、友人にもシェアしていただけますとさらにありがたく思います。宜しくお願いいたします。

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あまり聞かない就活の道

f:id:careersg:20170628171712j:plainレオナルド・ダ・ヴィンチ

                1483 天使の習作 トリノ王立

                美術館

 

今、東京駅近くの三菱一号館美術館で興味深い展覧会が開かれている。(~9月24日)ルネサンスの二大天才、レオナルドとミケランジェロのデッサン展である。わたしは目の前にある本物のデッサン一枚一枚、その二人の精緻な筆使いに圧倒されて、我を忘れる程知的興奮に襲われた。このデッサン、今まで書籍でしか見たことがなかったからである。インクの様々な色、ペン先の柔らかさ、紙質の肌触り、感触が感じられ、あたかもふたりが集中してその場でデッサンしているかのように思われた。

学生時代、わたしの研究テーマは西洋美術史だったが、指導教授からよく言われた言葉は、「何より大切なことは本物の作品を一枚でも多く観ることだ。そうすると自然と本物と偽物を識別できるようになる」。その時、その言葉、成る程と思いはしたが、米も買えず、スーパーの捨てるキャベツを主食にしているような貧乏院生で、かつ留学できる程優秀でもなかったわたしには海外の作品を目にするなど、実現不可能な絶望的なアドバイスだった。しかし、それは本当のことであった。わたしは美術史の研究者にはならなかったが、本物と出会うこと、それはあらゆることにおいてあてはまることを学んだ。教員の世界も、本当に素晴らしい尊敬すべき教員と出会うことが大切であるし、会社員でも学ぶに値する本物のビジネスマンと出会うことが大切であると思う。

さて、わたしたちは人生の中で、果たして幾人、「本物の人間」に出会うだろうか。本物の人間?それは人の感性によるだろうが、まさにこの人は凄い、と思わされる人であろう。(わたしが出会った本物の教員とは、日本を代表する学者でありながら、みんなが使う研究室のトイレを率先して清掃する某先生であった。)その出会いによってわたしたちの人生は変わる。ただその出会いは求めなければ得られない。待っていても出会いはない。偶然は主体性から生まれる、偶然をキャリアに生かすことができる、という理論(クランボルツPlanned happenstance)がある。まさにその通りである。自ら、本物の人間に会いに行きたいものである。

求めれば、そこに素晴らしい偶然があり、出会いがある。実は、就活を勝ち抜く本物の力、転職し得る力、老後の生き甲斐も、この出会いから拓かれるのではないだろうか。特に若き時代、少しくらい背伸びをしても構わない。自分から、今まで踏み入れたことのない会社訪問、交流会、勉強会などに参加してみるなど積極的な行動力が大切。わたしも、そのように努力したい。それが、本物の就活、新しい人生を生み出す道なのだと思う。

 

松本 利勝

株式会社 キャリア・ストラテジー講師

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産業カウンセラー

元中学校・高等学校校長

 

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わが心のネアンデルタール人に訣別を

 

 

f:id:careersg:20170626070750j:plain(森の仲間 イラスト 

                              マツモト トシカツ)

 

マンションのエレベーターの壁に鏡があった。そこに映るのは冴えない熟年の男の姿。わたしである。近年の人類の進化の研究をたまたま知ったからだろうか。ふと、考えた。「この鏡に映るわたしは何者だろうか。」哲学の形而上学(観念的な机上の論理)ではなく、人類学上の分類ではわたしは現生人類、ホモ・サピエンスサピエンスである。そしてその体内には1%から4%の確率でネアンデルタール人のDNAがある。わたしはこの事実の意味する中身を考えなければ、と。

ネアンデルタール人は、「模倣」、つまり鋭利な自然石を真似て、ナイフや槍を作った。一方、ホモ・サピエンスは模倣するにとどまらず、創意工夫して暮らしにより便利かつ創造的なナイフなどの道具を工夫する力を持っている。太古の時代、ネアンデルタール人とその生存期が同じ時代もあったが、ホモ・サピエンスは彼らが絶滅した後でも生存し続けている。研究者たちは、ネアンデルタール人の絶滅の理由として模倣のみの文明の脆弱さを指摘し、ホモ・サピエンスのサバイバルの理由をその環境の中で生き抜く創意工夫能力と指摘する。

わたしたちの人生も同様かも知れない。今までの生き方がいかに誇り高き創造的なものであったとしても、これからの人生がそれまでの模倣にとどまり、進化していかなければ、人生の絶滅は時間の問題となる。社長、部長だろうが、司令官だろうが、それが己の生きた証だと自負する者たちの必然的末路となる。ネアンデルタール人のDNAに心が支配されるのである。しかし、もしわたしたちがこれまでの人生の成功体験に固執せず、未だ未知の世界に真摯に身を投じる勇気を持ち得るなら、そこに絶滅の道はない。そこにあるのは年齢、環境を超越した、充足感である。

さて、わたしたちはホモ・サピエンスとして自分らしい人生を生きるとき、人生のどのようなライフデザイン、キャリアチェンジの選択が許されているだろうか。

ちなみに国際自然連合による分類では、わたしたちは「絶滅危惧種・低危惧種」である。

 

松本 利勝

 

 株式会社 キャリア・ストラテジー 講師

 国家資格キャリアコンサルタント

 産業カウンセラー

 元宮城学院中学・高等学校 校長

 

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バカボンのパパ、そのキャリアデザイン

 

 バカボンのパパは人類最大の偉人である、と確信している。無論、我が家の最大ヒーローである。どんな失敗をしても「これでいいのだぁ!」といつも前向きだからである。息子が尊敬する「カール」おじさんよりもずっと偉大である。カールおじさんシリーズは、入試の時期に「ウカール」君が発売されて、ご利益宗教のような存在であるが、しかし息子の大学受験で貢献したぐらいでは、パパを越えることはあり得ない。

 わたしの住んでいる青梅市赤塚不二夫博物館でレレレのおじさんをぼんやりながめながら、そんなことを考えた。

 アリストテレスソクラテスも、プラトンも、キリストもシータールタ(お釈迦様の名前)も、マホメットも、デカルトも、ニーチェも、その他教科書に登場する偉人も立派ではあるが、バカボンのパパにはかなわない。彼は昭和元年のクリスマスに、たぶん熊本県菊池市に生まれた。生まれた直後に「天上天下唯我独尊」(人間は誰でも掛け替えない唯一無二の存在)と発したほどの超天才児である。そのバカボンのパパがバカになったのは二歳の頃、くしゃみをした拍子に頭のねじが外れて口から飛び出し川に流されてしまったから。そのバカなパパはやがて市立七城中学を卒業し、バカ田高校、バカ田大学を卒業している。大学時代にママと結婚し二児を設ける。バカボンとはじめちゃんである。パパの二面性がふたりの子供に反映している。パパは食べるために、たくさんの職を転々としているが、時に暴言により会社を倒産させクビになり、また店舗を全焼させたりもしている。またその破天荒な言動で周囲を混乱に陥れ、人を死に追いやることもある。それでも彼は「それでいいのだ」と落ち込むことは決してない。心の闇と向き合うバカさがあるからである。

 赤塚不二夫氏の生み出したこの驚くべき偉大なヒーローは、かつて存在したあらゆる哲学書、人生訓にも勝る教訓を伝えている。何があってもそれでいいのだ。バカボンのパパのキャリアデザインとは、未来予測不可能であるが、しかし決してめげない、あきらめない、自己嫌悪しない、、、という究極的にボジティプなものである。世界のあらゆるカウンセラー、キャリアコンサルタントが、バカボンのパパに学ぶことは無限大であろう。

 

松本 利勝

 元校長

 産業カウンセラー

 国家資格キャリアコンサルタント

 

 

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ビートたけしさん、ごめんなさい

 

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                                                                                       (イラスト まつもと としかつ)

 ~北野武様に伝えたいこと~

いつの頃でしたでしょうか。教師になる前ですからもう40年以上も前のことになります。アルバイトで暮らしている時代のことです。あれは、夏の夜だったような気がします。わたしは友人と新宿のビルの高い階の、眺めのいいレストランというか、かなり広いバーのような小洒落た店におりました。二人とも実はお酒はそんなに飲めませんでしたし、部屋代すら事欠く貧乏暮らしであったのですが、この時ばかりはふたりともなんとなく、見栄を張ってみたかったのです。ふたりの小さな冒険でした。

わたしたちは、まず店のカウンターでおそるおそる、生ビールを注文してみました。少し離れた窓からは夜の新宿のあまりにも怪しい隣接するビル街のネオンの光が見えていました。うす暗い店内にはジャズに似た、普段あまり耳にしたことのない音楽が流れていました。その暗さに目が慣れたころ、私はテレビでしか目にしたことのない有名なあの芸人さんを見つけてしまったのです。彼は女性と一緒でした。テレビの印象とは異なる柔和なビートたけしさんでした。

わたしは、彼の姿を発見して、すっかり田舎じみたはしゃいだ気分になり、友人にこう誘いました。「サインを貰いに行かない?」若さは時に馬鹿さです。たけしさんは人気者になり、ただでさえプライベートな時間を誰にも邪魔されずに、ひっそりと楽しみたかったでしょうに、わたしはずけずけと声をかけ、サインをねだるとはなんと失礼な、なんと非常識な若者だったことでしょう。しかし、それでもたけしさんは、ほんの少し、困ったような表情をみせはしましたが、黙ってサインに応じてくださったのです。しかも、ビールのコースターに。あれから長い年月が経ちました。たけしさんはもう映画監督としても世界的名声を得ておりました。数年前、わたしは書店でたけしさんが昔の思い出を書かれた本を手に取りました。その本の一節にこんなことが記されていました。自分が若い時に、あるレストランで女性の友人と食事をしていたら、若い男がやってきて、自分のサインをねだった。場をわきまえぬなんて失礼なふるまいなのだろう、と思った、と。・・・・それが若き日の厚顔無恥な自分の姿であったことは疑いようもない事実でありました。思わずたけしさんに手を合わせました。たけしさん、ごめんなさい。

若き日には、傍若無人な行為も、人を人知れず傷つけることもあります。他人様に多くを許されて今があることをあらためて思うのです。

人は、新しい歩みを始めようとするとき、これまでの己の恥ずかしくも、かけがえのない記憶を胸に刻印するものなのでしょうか。

 

松本 利勝

  株式会社キャリア・ストラテジー講師

  国家資格キャリアコンサルタント  産業カウンセラー

  元校長の体験を生かした教育相談を中心に様々なカウンセリングに取り組む。