ぶつかるのではなく引いてみる

ここ数年、忍者のスキルを学んでいます。先生は本物の忍者先生です。髪を後ろに束ねて絶えず修行している若い先生です。最近は対面ではお会いしていませんが、手裏剣だけでなく、身体の使い方などの修業はとても面白いのです。

 

忍者は基本的には戦い人ではなく、情報収集の人ですから、戦いません。危なくなったら真っ先に逃げることが大切です。最強の忍者は命の危険に合う前に、それを察知してとにかく逃げるのです。どうしても逃げ切れないときにだけ戦います。戦う以上は勝たなくてはいけません。あるいはその場から逃げおおせることが必要です。

 

手裏剣も相手を殺傷するのではなく、相手のバランスを崩して、すばやくその懐に入り込み剣で刺すのです。忍者は、そのために運動機能を高め、相手の心理、火薬などの道具にも精通しなくてはいけません。

 

身体の使い方で興味深いのは相手の力を利用して相手を倒すことです。押すのではなくも引くのですね。のこぎりも西洋は押しますが、日本は引きますね。環境と戦うのではなく、環境の力を生かす、抵抗しない、その力を引き出して掌握しコントロールする。

 

このスキルは実は心のスキルにも通じるのでしょう。生きることも。忍者修業は一生です。昼間はカウンセラーですが・・・・

 

大学相談室カウンセラー

国家資格キャリアコンサルタント

元校長 防災士

 

 2022 の今

 2022年12月24日。夜。華やかな街の灯。

 

 古代イスラエルローマ帝国が支配する名もなき村でひっそりとイエスは生まれました。彼は、大人になり、生きることの意味を求め、しかし実は平凡な家具職人として生きていました。ただ神の教えを守りたいと願いつつ。そして、名もなき人々の友として。

やがて、彼は逮捕され、不当な裁判にかけられ、十字架上で息絶えました。

 

あれから、2000年以上経た今、彼の問いかけに耳を傾ける人々は数知れません。華やかな装飾も音楽も豪華な食事も素敵なことですが、そっとその意味に思いをはせる人々と共に生きる道に光をあてるのも。

 

大学カウンセラー

 松本 利勝

不登校で悩む皆様へ

2022年度の統計では、中学校の不登校の生徒は全国で24万4940人。前年度よりプラス49,000人です。学校という組織の問題、先生たちの問題、文科省教育委員会、家庭の問題、いじめなどその要因は実に複雑と思われます。私もかつて中学校教員時代にはそのような問題にぶつかり、どのように対応すればよいのか、思い悩んだことがありました。

 

そして、たどり着いた結論は、不登校の生徒にとって最善の選択肢が学校に戻ることだけではないということでした。世界を見れば、学校の在り方は多様でありますし、絶対的な形など存在しないのです。時代により、教育の在り方も変わります。自分がどのような教育を受けるかは、実に自由であり、選択肢は無限です。日本でもフリースクール通信制などもありますし、文科省も少しずつではありますけれど、一般の学校ではない教育も認める方向に向かっているように思います。

 

わたしは今、ある大学の相談室でカウンセラーをしています。相談者の中には職員さん、先生たちもおります。相談内容のいくつかは不登校の問題と深くかかわることがあります。それらの人々の心の声に精一杯、耳を傾けつつ、時にそっとお伝えします。

 

「学校に戻るだけが選択肢ではありません、一緒にそれも含めて考えていきませんか」

 

カウンセラー

キャリアコンサルタント

 

松本 利勝

ヒロシマ、ナガサキ、オキナワの語り部の人々から

かつて、中学と高等学校で、「平和教育」を担当していました。修学旅行も中学は「東北」から「長崎へ」。高等学校は「京都・奈良」から「沖縄」へ変えました。もちろん、東北も京都・奈良も素晴らしい学びの地。ですが、今の時代の教育には「平和」とは何か、それを考える機会をつくることは学校の使命であると確信していたのです。

 

わたしのこども時代、父親が戦争で死線を越えて帰ってきた体験談を聴いていたのです。叔父たちもほとんどが戦死している。小学生の頃はベトナム戦争があり、その後も世界にはたくさんの紛争・戦争がありました。そして今も。

 

ふと、今、思い出します。かつて生徒たちに戦争体験を語り続けてくださったひとりひとりの優しい声、震える声、怒り、ゆるし、祈り。それらの人々はほとんど亡くなりました。わたしの父も母も。それらの人々を生徒たちはどのように思い出しているのでしょう。人生ではどのように意味があるのでしょう。

 

わたしたち教員が関わった生徒たち、今はもう50代にまでなっているでしょう。。。君たちに語り部の人々が残したものは一体、何であったのでしょう。

 

 

誰かの役に立ちたい思い・・

世界は不条理に満ちています。ウクライナ、香港、ミャンマー、そして今は報道されていない中東地域、アフリカ諸国なども含めて、世界の非人道的状況は、私たちの胸を痛めます。

ある専門家がこう言いました。「今回、欧米社会はじめ世界が平和を求めて動いています。しかし、かつてチェチェンの問題などでここまで私たちが心を動かなかった背景には、わたしたちの無意識の差別があるからなのではないか。」わたしたちの本質的な問題、自らの意識の在り方が問われる発言でした。

 

今、自分に出来ることは何か。誰かの役に立ちたいと。そう思う自分の意識の本当の姿に向き合う勇気を持たない限り、問題は何も変わらないとわたしは思うのですが、いかがでしょうか。

 

松本利勝

 

国家資格キャリアコンサルタント

産業カウンセラー

防災士

木の気持ち

何故、青梅の田舎に住まいを構えたか。それは美し森と川があるからです。そして福島の田舎に似ていたからでもありました。

吉祥寺の近くに勤務する学校があり、毎日長い時間をかけて通ったのでした。授業も楽しく、先生方や職員の皆さんとも愉快な関係を築けました。すばらしい日々でした。思えば、生徒には十分な授業ではなかったかもしれません。生徒に許され、受け入れられた日々だったのでしょう。特に、若き日は失敗ばかりの授業であったでしょう。中高生6年間のカリキュラム、教案を考えるだけでも大変な日々でした。そして気が付けば管理職。正直、自分には合わないと感じていました。やはり、授業が楽しい。

 

校長職を終えて、一度引退して青梅の山に隠遁したのです。しかしほどなく、飽きてしまいました。近所の中学のグランドを見ている自分に違和感を感じました。社会とのつながりがないということは、生きている実感がないということでした。働くということは、誰かのために役に立っているという実感であることを悟った瞬間でした。

 

そして、もう一度社会復帰しました。カウンセラーとキャリアコンサルタントの資格を取得して。そして、今多くの人々に出会う幸せを取り戻しました。素晴らしいキャリアコンサルタントがそばにいて支援してくれていることに感謝しつつ。

たけしさん、あの時はごめんなさい

学生時代は失敗の連続でありました。相手の気持ちも考えず平気で、行動していたものです。ある時、ちょっと贅沢して友人と新宿のとあるレストランで食事をしていました。

すると、わかき芸人のたけしさんも近くで食事をしていたのです。有名人など見たこともないので思わず、コースターを一枚持参して、「すみません。ファンなんです。サインいただけますか」と図々しく。彼は気持ちよくサインしてくれました。ですが、後に彼が出版した本の中で「食事中にコースターにサインしてくれという人がいて、とても嫌だった」と。その時はかなり親しい方とお二人でしたので。その文章を読みました時は思わず心の中で叫びました。「たけしさん、ごめんなさい。さぞ失礼な奴だとおもわれだでしょう。どうぞおゆるしください」と。

 

学生時代の失敗は、数限りなく。今、還暦を超えて思い出すのは、こうして人生の味わいをかみしめることができるのも、これまで迷惑をかけ、失礼を重ねてもそれを許してくださった多くの人々のお陰であると思います。

 

今、とある大学相談室で学生さんや教職員さんたちのお困りごとを聞かせていだたいていますが、ある程度、人の失敗も許せる自分になったかなと思うこの頃です。